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帝王切開で子どもを産むということ

2021年4月に第一子となる男の子を出産しました。妊娠経過は順調だったのですが、エコーの度に「頭が大きいね」と言われ続け、最終的に「児頭骨盤不均衡」という診断となり帝王切開での出産となりました。そのときのことを振り返り、妊娠するまでに感じていたこと、帝王切開が決まったときに感じたこと、出産を終えた今感じていることを少しお話したいと思います。

絶対に子どもが欲しいと思っていたわけではなかったけれど。

こんなことを書くと、気を悪くする方もいるかもしれませんが、私はめちゃくちゃ子どもが欲しい!!と思っていたわけではありませんでした。なんとなく、いつか結婚できたらいいな、結婚したら子どもも産むのかなー、というふわっとした気持ちで、仕事や趣味など自分がやりたいことを優先して生きてきました。

ただ、30代も後半を迎えると、生理が来たときに「あぁ、今月も私の卵子がひとつ失われてしまった」というなんとも言えない悲しみを感じていたのも事実です。仕事は楽しい。彼氏もいるけど、結婚するタイミングでもないし、「子ども作ろうよ!!」というほど子どもが欲しい気持ちがあるわけでもない。でも、35歳を超えると妊娠する確率も下がると言われているし、このまま子どもをもたずに生きていくのかな、と思うとなんだか切ない。これは子どもをお腹の中で育てて産むという働きを持っている女性としての本能的な感情なのだと思います。

管理職選考で直感した人生の分かれ目。

そんな時、仕事で管理職を目指すことを決め、研修と選考を受けました。その研修で管理職としての仕事について色々な説明を受け、どの人の話を聞いても「めちゃくちゃ忙しい」という雰囲気が伝わってきました。なんとなく予想はしていたことでしたが、このレールに乗ったら、産育休を取るのはとっても大変そうだと改めて感じました。

そこでその時付き合っていた彼氏(現在の夫)に、

「私は仕事をやめることは考えていないし、管理職を目指したいと思っている。でも、このまま選考を受けて管理職への流れに乗ってしまうと、子どもをもつことが今以上に難しくなると思う。私自身はそれでも仕方ないのかなという気持ちはあるが、あなたはどう考えるのか」

ということを伝えたら、

「もしできるなら子どもがいたらいいなと思っている」

という返事だったので、「それならば今しかない」ということで、それまでのほほんと付き合っていたのが一気に結婚、妊娠に向けて動きはじめました。私の年齢も37と高齢で、そんな簡単に妊娠することはないだろうと思っていたらなんのご縁か、避妊をやめてすぐに身ごもるというスピード感。当の本人である私自身が戸惑うほどでした。

なんとなく感じていた経膣分娩への憧れ。

「絶対子どもが欲しい!」と思っていたわけではなかったはずなのに、いざ妊娠がわかると、「流産してしまったらどうしよう」「しっかり育たなかったらどうしよう」という不安と共に「陣痛ってどんな感じなんだろう」「私も出産を経験できるんだ」というわくわく感が出てきました。

帝王切開で2人子どもを出産している職場の先輩に妊娠を報告すると、「高齢だし、お腹も大きめだし、帝王切開おすすめよ!!」と言われましたが、「なんの問題もないならわざわざ帝王切開にする必要はないし、経膣分娩がいいな」と密かに思っていました。

7ヶ月検診の時に「逆子になってるねえ」と言われた時には、「このまま逆子が直らなかったら帝王切開になってしまう!それだけは嫌だ!!」と思いました。(ちなみに、ネットで「どうやらお腹が冷えると逆子になるらしい」という情報をつかみ、下腹にカイロを貼って温め続けたおかげか(?)8ヶ月検診のときに逆子は直っていました。)

この「帝王切開は嫌だ」=「経膣分娩がしたい」という気持ちは一体どこから来ていたんでしょう。今もって不思議です。帝王切開で産むことが良くない、というようなことが言われたりしますが(実際そんなことはありませんけど)、そこが理由ではなかったように思います。やはりなんとなく「子どもを産む性として生まれてきたからには」というプライドのような憧れのような気持ちがあったのではないかと思います。

最後の妊婦検診で予定帝王切開が決まる。

経膣分娩への憧れがあっても、現実的なことを考えると帝王切開になる可能性はゼロではないということはわかっていました。理由は、自分自身が高齢出産にあたる年齢であるということ、もうひとつは胎児の頭が大きかったことです。妊婦検診でかなり最初の頃から「頭が大きいね」「体も大きいね」と言われ、後期の検診では「予定日までには出てきてほしいね」「たくさん歩いてね」と言われていました。

だから、正産期に入ってから陣痛や破水、どのタイミングで病院に行ったらいいのかといった情報を調べると同時に、一応帝王切開のことについても調べたりしていました。

※帝王切開関係ではこの本がおすすめです。

家族にも「頭が大きいから帝王切開になるかもしれないしね~」と言っていましたが、まさか本当にそうなるとまでは全く思っていませんでした。

そして最後の妊婦検診で、胎児が全然おりてきていないことを告げられました。陣痛誘発をかけてもいいけど、勝算がなければかけても意味がないからとりあえずレントゲンを取りましょう、ということで骨盤のレントゲンを取りました。骨盤の広さには自信があったので、「そうは言っても誘発で出産できるんじゃないかな?」と思っていたのですが、結果的に「胎児の頭が大きくて骨盤に入れていない。帝王切開で行きましょう」ということに。

「明日入院で明後日手術にしますか?それとも4日後の入院で5日後手術にしますか?」とその場で決断を迫られ、夫にも電話で相談して、4日後の入院がその場で決定しました。

私はなぜ泣いているのだろう。

あれよあれよという間に話が進み、現実に気持ちが追いつかないまま家に帰り、誰ともあんまり話す気になれず、とりあえずご飯を食べて布団に入って、改めて帝王切開の出産について調べながらさめざめ泣きました。

でも、自分でも不思議なんです。こんなに涙が出るけど、私は一体なんで泣いているのだろう。

その頃の日記にはこんなことを書いていました。(括弧内は追加情報)

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泣きながら、これは何の涙なんだろうと思った。

1つは、もう経膣分娩することはできないっていう気持ち(一度帝王切開をすると次の出産も基本的には帝王切開になるため)。よくわかんないけど、私は陣痛経験したい!!っていう気持ちがあったから、それがもう叶わないんだなぁっていうのがすごく悲しかった。

あとは、手術が本当に嫌だっていう気持ち。頭が大きいって言われてきて、帝王切開あるなとは思っていたけど、本当に手術が嫌だった。体を切りたくないっていう気持ちがすごくある。

でも何ていうか、そういう気持ちって自分のことしか考えていない涙だなと思って、子どものことをないがしろにしていると思った。子どものことを考えたら(もちろん母体もだけど)帝王切開の方がいいっていうのはわかるし、そのあとの大変さは私が引き受けてのりこえればいい話なんだから、自分のことばっかり考えちゃだめだと思った。

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私は国語の先生をしているので、「この時のこの人物の心情は?」ということをよく考えているからか、「この時の私の心情は?」ということもよく考えます。泣いている時は特に、涙の理由を考えます。感情を言葉で整理すると、心が落ち着くからです。そうして整理してみると、私の涙の理由は、自分の欲求が満たされない、とか、自分が受け入れたくないことを受け入れなければいけない、とか、自分の中にあることがほとんど。今回もそうだな、と思いました。

自分の思い通りにいかないのが子どもを育てるということ。

先程の日記はこのように続きます。

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自分の都合と子どもの都合は違う。これから子どもが生まれたら、子どもは私の都合で思い通りにコントロールできるわけではないし、子育てってそういう2つの都合をどうにかしてすりあわせていくところがあると思う。そう考えると、今回帝王切開が嫌!という気持ちをのんで受け入れるっていうのは、私にとって親としての最初の一歩なのかなぁと思った。だから、それを受け入れようっていう気持ちになった。

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自分の体も含めて、相手は生き物。生き物を相手にする時に、自分でコントロールできることなんてたかが知れています。どんなに死にたくないと思っていても人は死にますし、自分ではコントロールできないものを受容することが生きていくことだと思います。

特に、今回は自分だけでなく自分と子どもの間のこと。自分1人の時よりももっともっとコントロールすることは不可能になるわけです。そこに思いいたってから心が追いつくまでに2日くらいかかりましたが、最終的には気持ちを落ち着けることができました。

出産を終えた今感じること。

最終的に私は40週と2日で予定日を超えて出産をしました。親孝行な子どものおかげで陣痛が来たり破水したりして苦しむことなく予定通り手術をすることができました。

入院するまでは、経膣分娩のお母さんたちとあんまり接したくないな・・・などとうじうじ考えていましたが、いざ手術を終えてみるとそんな気持ちは消えていました。それは帝王切開での出産も全然楽じゃなかった!!(この話はまた改めて記事にしたいと思います。)・・・からではありません。どれだけ痛いとか痛くないとか、楽とか楽じゃないとかそういうことではなくて、方法はどうあれ人が1人自分のお腹の中から出てくるという事実の大きさに畏怖を感じたからです。

手術が始まってしばらくしてお腹の上に乗っていたずっしり重いものが持ち上げられていく、あの不思議な感覚は忘れることができません。生まれてきた子どもはかわいいし、お世話も大変だけど楽しいし、子どもと一緒にいることが全てになるので、あの時あんなに泣いた出産方法なんて些細なことに思えてくるから不思議です。

今、振り返ってひとつ言えることは、妊娠・出産に際して女性の本能を強く感じたということです。子どもを積極的に欲しいと思っていたわけではなかった私ですら、妊娠がわかってから出産するまでに「自分がこんな風に感じるとは思っていなかった!」というような様々な心の揺れ動きを経験しました。そんな生物的な部分を知ることができたのは良かったなと思っています。

また、それでもやっぱり「陣痛経験してみたかったな」と残念に思う気持ちはゼロではないので、帝王切開になったことを悲しんだり後悔したりし続けるお母さんたちの気持ちも分かります。そんなときには、こちらのサイトがおすすめです。

これからの生活の中でも、自分の本能的な感情に理性がついていかなかったり、子どもや夫、さらに様々な人との関わりの中で自分の思うようにことが進まないことがたくさんあったりすることでしょう。そんな時も、今回のように少し立ち止まって、言葉で整理をしながら乗り越えて行けたらいいなと思います。


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