自分軸はどこにある?他人軸は100%良くないのか?
ワーママはるさんのVoicyでもたびたび触れられている、他人軸と自分軸。
ここ最近、はるさんの配信を再聴する機会があり、他人軸と自分軸について改めて考えるようになりました。
他人軸の息苦しさ
ここでいう他人軸とは、他人の価値観で物事を見たり、それによって自分を評価してしまうこと。世間の常識や暗黙のルール、「~した方がいい」「~するのが普通」「~すべき」論なども他人軸の一つの形だと思います。
他人軸ばかりにとらわれ、その価値観の中で生きていると、本来の自分の持っている価値観(=自分軸)がだんだんわからなくなり、生きにくくなってしまうのが問題。もっと自分軸で生きていい。自分は今どんな軸で物事を見ているか、他人軸にとらわれすぎていないかを客観的に振り返る視点を持とう。
ざっくりですが、このような内容が配信の中では語られていました。
これを最初聞いたとき、視界が晴れた気分でした。
自分自身が、特に母親になって以来「仕事をしてるからといって、家事や育児を疎かにするべきではない」「復職しても母乳は続けるべき」「休日は様々な場所に連れて行って、小さいうちから感性を育ててあげるのがいい」などたくさんの他人軸にとらわれて、なんとなく苦しいなと感じながら生きていたことに気付けたからです。
他人軸に気付き、そしてそれにとらわれすぎす、自分の正直な気持ちも尊重していいと思えたことで、気持ちが楽になりました。
何が他人軸と自分軸を分けるのか?
でも、他人軸との距離の取り方がわかってきた今、改めて考えてみると、自分が他人軸と自分軸をちゃんと理解できているのか?わからなくなってきました。
・他人軸は分かったけれどじゃあ自分軸っていったい何なの?
・他人軸ってそんなにダメなものなの?
・そもそも自分の価値観は100%自分だけによるものなのか?
そんな疑問が湧いてきて、モヤモヤと考えるようになりました。
例えば、今の自分や今の生活に不満を持っていたとして、「でもありのままの自分でいいや!」と開き直ってしまい、自分の都合の良いようにしか見ないことは果たして自分軸なのか?これだと、自分は何も変えず、成長や変化をしなくていいことになってしまいます。
その逆で、憧れの人や理想とする人を真似るのは他人軸で良くないことなのか?よく自己啓発本などでは、「こういう風になりたいと思う人の思考を自分の中にインストールするには、その人の環境ややっていることを真似することが近道」と書かれていたりします。
例えば、*ワーママはるさんの生き方や考え方を良いなと思った場合、
・はるさんのオススメ本をすべて読む
・資産運用のやり方を真似してみる
・ヨガをはじめてみる
などです。
でも、真似していく中で、これは自分にも合っている・これは自分には合わない、という感覚が出てくるはずです。
そこで自分の感覚を無視して、例えば「ヨガはあんまり楽しくないけど、はるさんや周りのみんなが良いって言っているから」と続けていたら、それはきっと他人軸です。
一方、「ヨガは合わなかったけど、運動習慣は欲しいからランニングやってみようかな」と修正していく、あるいは「調べてみたけど不動産投資は自分には向いてなさそうだから、投資信託だけ取り入れよう」と取捨選択していくのは自分軸かもしれません。
結局、境界は曖昧
結局、他人軸と自分軸はスパっと分けられるものではなく、緩やかに交じり合っているのだと思います。
なんだか当たり前の結論ですが、自分の価値観自体が、生育環境や経験を通じてもともとは誰かの価値観だったものを組み合わせて形作られるものだし、さらなる経験や出会いを経てアップデートされてきているはずです。自分軸と合致する他人軸も当然あるはずです。
例え最初はすべてを真似ていたとしても、それは決して100%他人軸にとらわれた行動というわけではなく、自分軸をよりよく成長させるための過程の1つのフェーズかもしれません。
そもそも、憧れを持つ=自分の現在の価値観に近い、あるいは、自分も良いと感じる価値観を持っている可能性が高く、そこに近づきたいと考えること自体が自分軸とも言えます。
そう考えると、他人軸=ダメと一概には言い切れない気がしてきます。
自分軸も変化していくもの
自分軸は探しに行くものではなく、元来自分の中にあるもの。それは確かにそうかもしれません。でも、自分の中にある自分軸も、それ自体がどんど成長と変化を続けていくもの。
自分軸を育むことは、自分の畑(フィールド)で価値観という植物を育てること
他人軸の価値観であっても、自分が良いと感じるもの=自分軸のタネ
他所からもらってきたタネを、いったん自分の畑に植えてみる。育てる過程で、いくつかはうまく育たなかったり、畑の環境と合わず育てるのに手間がかかりすぎるから似た種類の別のタネを育てた方が良いな、と思ったりして取捨選択していく。最終的に必要なものだけにしっかり水をやって育てていく。
こんな風に育てた結果、はじめは借り物の他人軸だったものが自分軸になることもあるかもしれません。
逆に、もともと自分の畑でたくさん栽培しているけれど、育った実を食べてもなんだか最近美味しくない…ほかの植物の成長を邪魔しているような気もする…と思ったら、少しずつ数を減らしたり、育てるのをやめてしまってもいい。
自分を苦しめる他人軸とは距離を置くけれど、良いなと思える他人軸とは柔軟に向き合いつつ、自分軸を育んでいく。そんな視点を持ちたいなと思います。
*このnoteを読んで下さるであろう読者の方に伝わりやすい共通言語として、ワーママはるさんを例に挙げさせていただきました。