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西武沿線ぶらり旅01 池袋線東長崎駅:トキワ荘マンガミュージアム


「西武沿線ぶらり旅」のはじまり

 今回から,思うところあって, #西武沿線ぶらり旅#不定期 で投稿していきたいと思います。栄えある第1回は #西武池袋線 #東長崎駅 で, #豊島区立トキワ荘マンガミュージアム に行ってみましょう。

東長崎駅南口
(2025年1月18日,著者撮影)

東長崎と宝塚を結ぶ手塚治虫とレオ

 東長崎駅で下車したのは,初めての経験です。改札口では #手塚治虫 の代表作「 #ジャングル大帝 」の #レオ とライヤが,お出迎えをしてくれました。レオのモニュメントは,手塚の生まれ故郷である #宝塚市 の #手塚治虫記念館 にも設置されています。こちらは, #阪急沿線 になりますね。
 東長崎と #宝塚 とでは,レオの表情や耳の位置がちょっと異なります。宝塚のレオは茶目っ気たっぷりで,東長崎のレオは,ガールフレンドのライヤがそばにいてくれる分,にこやかに見えます。

東長崎駅のレオ&ライヤモニュメント
(2025年1月18日,著者撮影)
宝塚市立手塚治虫記念館のレオ
(2024年5月19日,著者撮影)

ジャングル大帝と西鉄ライオンズの誕生年月

 ちなみに,「ジャングル大帝」の『 #漫画少年 』連載開始が,1950年11月。1949年オフに誕生したばかりの #西鉄クリッパース が, #西日本パイレーツ と合併して,愛称名を #西鉄ライオンズ に変更したのが,1951年3月。この戦後復興期というのは,戦時に処分された #ライオン#ゾウ などの #猛獣 たちが,上野をはじめ,各地の #動物園 で徐々に見物できるようになった時代でもあります。

 今年2025年は「ライオンズ誕生75周年目」のシーズンを迎えます。 #埼玉西武ライオンズ の球団公式SNSでは,なんやら75周年記念のユニフォームなるものをツイートしていますが(2月1日現在),私自身は, #西鉄#西日本新聞 による公募で「 #ライオンズ 」と選ばれた背景には,「ジャンフル大帝」をはじめとする子供たちのライオン人気が存在していたからではないかと,勝手ながら推測しています。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアム

 東長崎駅から #トキワ荘マンガミュージアム までの所要時間は,徒歩10分。同じく #池袋線#椎名町駅 からも,徒歩15分の距離にあります。あまり歩きたくない人には, #都営大江戸線 #落合東長崎駅 から徒歩5分というのが,おすすめです。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
(2025年1月18日,著者撮影)

 トキワ荘マンガミュージアムは, #南長崎花咲公園 のなかにあります。この公園が面している道路は, #トキワ荘通り と呼ばれています。実際の #トキワ荘 は, #ミュージアム からトキワ荘通りに沿って,東南の目白通り方向へ数分のところに建っていました。

トキワ荘跡地モニュメント
(2025年1月18日,著者撮影)

 パンフレットによると,木造アパートであるトキワ荘は,1952(昭和27)年12月6日, #豊島区 椎名町5丁目2253番地に棟上げされました。昭和20~30年代には,多くのマンガ家たちがここに住み,漫画を描いていました。その後,1982(昭和57)年に解体されました。

 マンガミュージアムは,このトキワ荘の外観と2階部分の内装を再現し,1階を「マンガラウンジ」と称するトキワ荘ゆかりのマンガや書籍を展示しているスペースや,企画展示室として利用しています。2階には,4畳半の部屋9室と,便所,共同炊事場などが,当時使用されていたように再現されています。

共同炊事場の再現
(2025年1月18日,著者撮影)

 たとえば,14号室は,手塚治虫の住居でした。雑誌『漫画少年』を編集・刊行していた学童社の加藤謙一の息子が住んでいたアパートを紹介されたそうです。手塚は,新築まもない1953(昭和28)年1月から翌年10月まで,ここに居住し,「ジャングル大帝」終盤の執筆を行っていました。

復元された14号室
(2025年1月18日,著者撮影)

 手塚が転居すると,入れ替わりに入居したのが, #藤子不二雄 Ⓐ と #藤子・F・不二雄 でした。やがて,藤子・F・不二雄が,隣の15号室に入居します(2人とも,1961(昭和36)年10月まで居住)。さらに,その隣の16号室には, #赤塚不二夫 が1956(昭和31)年8月から1961年10月まで,17号室には #石ノ森章太郎 が1956年5月から1961年12月まで居住していました(『芸術新潮』第71巻第11号(通巻851号),2020年,16-19頁)。

ミュージアムに掲示されている
トキワ荘2階の見取り図
(2025年1月18日,著者撮影)

 トキワ荘のミュージアム復元は,単に元祖・アニメの聖地を顕彰するだけに留まりません。 #令和 のご時世に, #昭和 の空間を築き残すことで, #戦後復興期#高度成長期 の昭和を, #平成#令和 世代に伝える役割を果たしています。そして, #椎名町#南長崎 地区に, #昭和レトロ で街おこしを試みる原点にもなっています。

通り全体がミュージアムと化している「トキワ荘通り」
(2025年1月18日,著者撮影)


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