人生の歩んできた道
これまで人生では紆余曲折あった。自分を振り返る意味でも自分史を軽く書いてみようと思う。
他人軸で生きる
人生のドン底を味わう
自分軸で生きる(1)
自分軸で生きる(2)
地域軸で生きる
自分軸を取り戻す
他人軸で生きる
新卒で入った会社で、自分と本気で向き合ったことはなかった。
それまでは高校受験で受かった瞬間くらいまでが幸せだったかも。
小中高とサッカーを続け、中学校では生徒会長、高校では県内でもトップクラスの進学校に入学した。女の子からモテるために頑張っていたと言っても過言ではない。まあ楽しかった。
それが仇となり、周りからの目を気にしたり、親から褒められるにはどうすればいいかばかり考えるようになってしまっていた。
高校は親が勧めたとこ。大学は別に行きたいところもないけど、とりあえず国立には受からないとダサいよな。会社も名のある企業でないと自慢できないよなと。
会社は半年で辞めた。やりたい仕事でもないのに、安定して入ってくる給料に恐怖を感じた。
「この環境に慣れたら、人生終わるな」
人生のドン底を味わう
当時の自分には人生の生き方は1つの選択しかなかった。会社に勤めたら、結婚して、子供ができて、家を建てて、定年まで勤める。ザ・王道の人生。
「さあ、これからどうしようか」
人生迷子の時に前会社の先輩からアムウェイに誘われる。当時は全く知らず、お金持ちになれるとまんまとはまっていった。人生ドン底への突入である。
先輩にいい思いをしてもらいたいと100万円の借金。それから、その頃全盛期のmixiで知り合った人にアムウェイを勧める。
アムウェイをしているだけで、人が離れて行くことを実感。人間不信に陥る。すぐにアムウェイを辞めた。
それからは借金を返す生活。4畳半、共同シャワー・トイレのアパートに住み、アルバイト掛け持ちで2,3日寝ずに働いたりもしたが、先が見えない。
まもなくそれに見かねた母から実家に帰ってくるようにと諭された。
自分軸で生きる(1)
実家の広島に帰省。しかし、友達に合わせる顔もなく、仕事もせず家に閉じこもる生活が続く。引きこもりでニート。毎日死にたいと思っていた。たぶん、鬱。でも、病院に行って鬱って診断されたら本気の鬱になりかねない。
そんな時に母から若者サポートステーションという若者向けの働くことに踏み出す支援場所を紹介された。そこで出会った『農業で若者を元気にするNPO』に救われた。
「面白いな、君は」
初めてNPOの代表に出会って、経歴を話した時の代表の一言目がそれだった。勇気を出して話してよかったとホッと。自分で自分を受け入れられない状況が続く中で、他人に受け入れられたことがすごく嬉しかったんだろう。
NPOの活動でも自然と触れたり、同じ境遇の人と話すだけで楽になったり、汗をかくのが気持ちよかった。
少しずつ慣れてきた時に不安が押し寄せる。このままここにいても社会復帰はできない。じゃあどうするか。借金もあるし。でも普通の会社員は無理。
自分軸で生きる(2)
それから必死になって働く場所を探した。たぶん田舎が自分にはあっているだろうな、と田舎で働けて面白そうな取り組みをしている団体をいくつか見つけた。行く前に自分の中で決めたことがあった。
「絶対自分のために生きてやる」
その中の1つだった雇用型訓練を実施している会社に勤めることになった。徳島県の神山町をフィールドに、イベントコーディネーターを養成するといったもの。
20代~40代の男女16名が採用され、最初の1ヶ月は合宿生活。寝食を共にし、深い話を毎晩した。
神山町は移住者もたくさんいて、みんな自分のやりたいことを仕事にしていることを目の当たりにした時、自分の世界が一気に広がった。
「なんでもありやん」
5ヶ月間の期間限定だったが、本当に楽しかった。高校入学以来の感覚。やっぱり田舎での昔からの文化・ならわしであるお裾分けや思いやり、お互い様精神が自分には合っている。なんでもお金でやりとりしない感じ。
雇用型訓練を経て、自分みたいに人生迷子になった人たちのサポートすることを仕事にしたいと雇用型訓練を実施していた会社に入社することになった。
地域軸で生きる
雇用型訓練を仕事にできるよう準備を進めていたが、急展開なことが起きてしまい、北海道の浦幌町という田舎町に地域おこし協力隊として行くことになる。
その会社の仕事として受けた浦幌町で委託業務を、協力隊として遂行するといったもの。内容は、廃校を地域内外とのコミュニティ拠点にすること。
最初聞いた時は、やりたいことと違うんだけどなあ、と思ったが、好奇心旺盛で、信頼している人からの頼みは応えたいと思ったり、いい経験になると思い、北海道に行ったこともないが若さ・ノリ・勢いで決めてしまった。
それからは自分のことは後回しで地域のために働いた。呼ばれた酒の席は断らない、必要とされれば手伝いに行く、頼まれごとは試されごとと自分に言い聞かした。最初の1年目はほぼ記憶がない。
そして、人生の汚点とも言える出来事をしでかしてしまう。地域に必要なものと町へのアピールなのか、子会社を設立し、カフェを廃校に作るというもの。起業する気もないし、カフェもする気もない僕がなぜかやってしまった。
大量の融資も受けることになり、毎日心をすり減らす。カフェなんてやったこともない、人に頼るのが苦手で、自分で責任を背負い込み、どんどんと自分を追い込んでいってしまっていた。
なんとかカフェを設立し、いろいろとあったが北海道に来て丸6年になる。
「もう十分やったよ」
自分で自分に声をかけた。
自分軸を取り戻す
「やっぱりやりたいことをやろう」
2021年末に決め、2022年の1月~3月でキャリアコンサルタント養成講座を受講。7月の試験に向けて勉強中。
自己理解を深めるために自己理解に特化したプログラムも受講中。
やっぱり学ぶことが楽しくで、好きなんだなと。
今まで生きてきていろいろあったけど、全部が経験になるし、感謝している。この経験を生きづらさやモヤモヤを抱えている人に還元したい。
むやみやたらに人に左右される人生ではなく、自分を生きること。そして、それは他人がいないと成り立たないこと。それを伝える仕事をこれからしていきたい。