ソウル・ライター展
福岡市美術館で開催されているソウル・ライター展に行ってきた。
なんでも、ニューヨークでは伝説の写真家らしい。
私は絵画は好きだけど、写真にはそれ程興味はなかった。
だってただの記録物だもん。
絵は描ける人と描けない人がいるけど、写真なんて、今の時代誰だってスマホのカメラでパシャリ、はい終了。
だからなんでその展覧会に惹かれたのか、正直分からない。
Googleのおすすめの欄に上がってきたあの時、なんで行ってみたいと思ったのか、今となっては、思い出すこともできない。
でもとにかく行ってみたかった。
美容室終わり、バスに揺られて15分。
会場には思ったより多くの人が来ていた。
まず入ってすぐにはモノクロの写真が展示されていた。
どれも、ニューヨークの街並みを至るところから切り抜いていて、確かにどれもお洒落だった。
でもそれはニューヨークだからでは?
モノクロで雰囲気が出てるだけなんじゃ?
捻くれ者は、未だ納得しない。
ただ、カラー写真に差し掛かったあたりで次の脚を出すのをやめた。
それはただ、野球観戦してる女の子を遠くから撮影したものだった。
それはただ、お店の軒先に蝶の飾り物を吊るしてる男を撮ったものだった。
それはただ、寒い雪の中赤い傘を刺して歩く女を撮ったものだった。
何気ない日常のほんの一コマ。
それも、やけにぼやけて、ピンがあっていなかったり、画面の半分が真っ黒だったりで、かろうじて主役を捉えてるような、中途半端な一コマ。
それでも、何故かみてしまう。
その先の物語の世界に引きずり込まれるような感覚。
絵画では表現できない、写真だけが切り取れた世界。
それは断じて記録物ではなかった。
ふと上を見上げると、ソウル・ライターはこんなことを言っていた。
I think that mysterious things happen in familiar places. We don’t always need to run to the other end of he world.
ーー神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。何も、世界の裏側まで行く必要はないんだ。
そうか。
そうだったのか。
私が住んでる日常も、ちゃんと目を凝らせば胸踊る世界となり得るのか。
その言葉は、変わり映えのない日常に祝福をもたらしてくれたようだった。
以来、ライターの撮った写真の全てに、ワクワクさせられた。
だから図録も買った。
ポスターも買った。
少しだけ視点を変えれば、1秒たりとも取りこぼすことのできない、かけがえのない世界が待っていると、ライターは教えてくれた。
美術館から出た後の、曇り空でさえなんだか愛おしかった。
福岡市美術館で3月5日までやってます。
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