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*小説《魂の織りなす旅路》 動き始めた時間・赤ん坊

少年は己の時間を止めた。目覚めた胎児が生まれ出づる。不毛の地に現れた僕は何者なのか?

【動き始めた時間】

 青年になった彼の時間は止まったままで、僕は相変わらず彼の脳にしがみ続けている。

 最近彼は、大学図書館の裏庭で恋をした。彼女の柔らかな波動が彼の脳を心地よく愛撫する。

 「今日の風は柔らかいね。」

 「あの空の透けるような青が好き。」

 「今日は本の文字が楽しげに踊っているように見えるの。」

 「あの鳥の鳴き声は悲しげに聞こえるね。」

 彼女の言葉はいつも彼の五感を刺激した。
 あるとき僕は、彼の五感に隙間が生まれていることに気がついた。体の内に在る僕はこの機を逃すまいと、すかさず彼の五感の隙間に向けて始まりの者の波動を放つ。

 ほどなくして、彼の五感が周囲の波動を敏感に感知し始めた。そうして次第に、彼の止まっていた時間が彼女の波動に共振し始める。彼の脳は、動き出そうとうずく彼の時間を止めることができない。彼の時間が彼女の時間とともに動き始めた。

【赤ん坊】

 ようやく流れ始めた彼の時間は、あくまでも彼女の波動に共振した、彼女の時間とともにある時間だ。彼の自立した時間ではない。だから僕は、相変わらず彼の体の境界線の内に閉じ込められたままだったし、境目に在る僕もひとりきりのままだった。

 今僕は、再び彼の脳を揺さぶるであろう苦悩を思い描き、身震いしている。彼の脳が妻を助けて欲しいと、哀願するように祈り続けているのだ。
 彼の脳は妻の意思を受け止めようと、懸命に足掻いている。僕はそんな彼の脳を、始まりの者の深い愛と慈しみの波動でひしと抱きしめる。彼の脳は知らないのだ。妻の魂が失われるわけではないことを。

 妻の心臓が止まり、妻の魂が境目の向こう側へと導かれていったとき、彼の脳が悲痛な叫び声をあげた。すかさず僕は彼の脳を抱え込む。そして、波動をみなぎらせながら言霊を投げかけた。

 《赤ん坊に慟哭の感情を向けてはいけない》

 慈しみの波動とともに厳しく諭す。しかし、彼の脳はそれを拒絶しようと激しく悶えた。祈りを叶えてくれなかった何者かを恨み、憎み、烈火の如く怒り狂い、罵倒したかと思うと打ちひしがれ、嘆き悲しんだ。

 彼の脳が妻の意思を思い出したのは、赤ん坊をその手に抱いたときだった。

 《この子は特別なの。》

 彼の脳が妻の言葉を思い出す。赤ん坊の温もりが両腕を通して彼の脳にじんわりと沁み入っていく。

 このとき赤ん坊の波動を直に感じた僕は、驚愕すると同時に狂喜した。赤ん坊の波動が、境目の向こう側にいる妻の波動に共振していたのだ。境目に在る僕はその共振に加わり、その波動を体の内に在る僕に送ることにした。

 僕は
 妻と赤ん坊とともに
 彼の脳を強く強く抱きしめた。

次章【魂の解放】につづく↓

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