*小説《魂の織りなす旅路》 魂の解放
【魂の解放】
このところ、娘が言っていた〈魂の解放〉という言葉が頭にこびりついて離れない。娘は魂で妻と会話をしていたと言う。しかし、言葉を介さない会話だなんて、僕には理解ができないし想像すらできない。
娘は「これからよ」と軽い口調で言った。それは僕もいずれそれができるようになるということだろうか。しかし、妻はもういない。娘の話は、妻が生きていた頃の胎内での話なのだ。
僕は縁側に向かうと籐椅子に腰を掛け、瞼を閉じた。体が暗闇に溶け込むと、竹筒から水鉢へと流れ落ちる水音が、聴覚とは別の感覚で聞こえてくる。それは耳を介さず直接頭に響いてくるのだ。そして、僕の全身が水音に包まれる。
この不思議な感覚に心奪われた僕は、最近毎日この籐椅子に座って水音に身を浸している。今日は特に残響が長い。水音の余韻が次々と重なり合い、僕の中でどんどんと増幅していく。
増幅した残響に全身が共振するのを感じたとき、突如頭の中でキーンという音が鳴り始めた。耳鳴りとは違う。まるで音波のようだ。頭のてっぺんから手足の先にまで振動が伝わってくる。僕はあまりの気持ち良さに恍惚となった。
*****
「お父さん。おとぉさぁん。」
娘の声に体がビクンと痙攣する。僕は重たい瞼を無理やり引き剥がすように目を開けた。
「仕事を終えて居間に降りてきたら、縁側で寝ているんだもの。こんな時間まで縁側にいたら風邪ひいちゃうよぅ。」
娘はお風呂を沸かしてくるねと、慌しく居間を出て行った。僕がここに座ったのは昼過ぎだ。ずいぶんと長い時間寝ていたものだ。ああ、あれか。音波だ。あれが気持ち良すぎて眠りが深くなったのだろう。
*****
今日も僕は縁側の籐椅子に腰を掛け、竹筒から水鉢へと落ちる水音に耳を傾ける。今度は寝入っても大丈夫なように、暖かな膝掛けを用意した。瞼を閉じるとすんなりと体が暗闇に溶け込んでいく。
どこまでが自分の体で、どこからが空間なのか。増幅してゆく水音の残響と心地よい音波の振動。どれくらい経っただろうか。僕はふと、体の奥底にほのかな光がともっていることに気がついた。
それは徐々に力を増し、僕の全身に輝きを放つ。その光輝が細胞の隅々にまで浸透すると、僕は途轍もない充足感に満たされた。そうして僕は知ったのだ。
これは・・・僕だ。
ああ、なんでこんな単純なことに今まで気がつかなかったんだろう。この光は僕だ。僕の魂だ。そう。僕は魂そのものなのだ。
僕は僕を体の境界線から思い切りよく、あらん限りの力を込めて四方へと解き放った。次の瞬間、清々しい朗らかな波動が解き放たれた僕の波動にそっと触れてきた。これは・・・これは、ああ、なんて懐かしい波動だろう。
君だ。君だね?
僕は僕の波動を妻の波動に重ね合わせた。妻の魂の震えに、僕の魂の震えが共振する。
大学図書館の湧水の音がこだました。庭の水鉢に流れ落ちる水音の残響が2人を優しく包み込む。
最終章【再会】につづく↓
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