連載小説 魂の織りなす旅路#31/書道教室⑵
【書道⑵】
「ああ。何日か前に連絡をくれたよ。悠(はる)もよく頑張ったよ。最期まで自宅で看病して。穏やかに亡くなったと言っていたよ。」
「悠さんも、きっと思い残すことなく送り出せたでしょうね。」
生徒がいなくなりしんと静まり返った教室に、師匠と私の声がぼんやり浮遊する。私は、熱いお茶の入った茶碗をゆっくりと口元に当てた。
「ああ。本人もそう言っていたよ。できる限りのことができたって。それから、会社を辞めてあちらに残ることにしたそうだよ。母親をひとりにしておくのは不安だからってね。頼れる親戚もいないらしい。悠は30過ぎたばかりだったよな?」
「はい。32歳だったかな。」
「まだ若いのになぁ。母親を日本に呼び寄せることも考えたらしいが、父親が日本人とはいえ、母親にとっての故郷はオーストラリアだからなぁ。
新しい仕事も決まったらしいよ。仕事が始まる前に母親を連れ出して、車で1週間ほど旅行するつもりだと言っていたよ。」
お世辞にも上手いとは言えない悠さんの書には、飾り気のない穏やかな伸びやかさがあった。それは、悠さんの本質そのものだと私は思う。
悠さんはオーストラリアで生まれ育った。父親が日本人だったこともあり、幼い頃から日本には興味があったという。書道に神秘的な魅力を感じていた悠さんは、いつか日本で書道を習いたいと、さまざまな書道家の作品をネットで調べまわったそうだ。
しかし、実際に見てみないことにはわからないと、こちらに来てから足繁く書道展へ通うようになった。師匠の作品に出会ったときは、魂が震えたという。
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