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見えるもの、見えぬもの
全国の眼鏡同志諸君、今日もぼんやりしてますか。実際どこまで見えてますか。
いつも通り、夜のベッドでのお話ですよろしくお願いします。
さて、我々眼鏡族はいざベッドに入るときその本体である眼鏡をどうするかという大きな選択を迫られるわけですが。ここでは眼鏡を外す派についてのみ扱っていきます。
部屋の照明はすっかり暗くなり、衣服もすっかり脱ぎ捨てられ、すっかり全裸になったとき。全裸というのはすなわち全部裸ということですから眼だって裸眼ということです。
見えてないんですよね。
なのでほぼ手探りです。
手探りの方がむしろ良いんですけども。手のひらや指先の神経について感度を上げざるをえない。指先で手のひらで見ているわけです。
肌の曲線にそっと手を添え、ゆっくりと滑らせていく。こうやって見ているわけです。目ではなく手で指先で。
そうすると、目に見えない変化というのを感じれるようになるんですよね。内に秘めたものが。体温が。にじみ出るものが。
やがて繋がるそのとき。
例えば正常な位置での繋がりだとしましょう。
自分の顔からすなわち両目から肝心の結合部分までちょっとの距離があり、まあ、ピントが合わないんですよね。見えてないわけです、はっきりとは。天然のぼかしです。
AVなどで結合部分はどうしてもモザイク加工されてしまいどうなっているのかはっきりわからないですが、我々も同様です。
脳内で「何となくきっとこんな感じだろうなあ」と補完されてはいるものの、実際には見えていないっていうの面白くないですか。
視覚のリソースを諦めてその分の感覚を触覚や聴覚や味覚や嗅覚のほうに割り振っていますから、よりリアルに全身で重なりを繋がりを存在を感じるということができていくのかもしれません。
ベッドで眼鏡を外す族は、あんまり見えてないけど困ってないし楽しんでます。