a.m 7:09
冬がちらついた秋の中を形ない風を掻いて、生活するには少し、心許ない酸素を集めている
最近どうやら酸素が薄いと気がついたのは、頭を使うことが増えたな、と感じた時。
本当はただマスクをしているからそう感じるだけであるが、
何かを思う、誰かを想うきっかけと言うのはいつも唐突なもので強がりな私はその唐突さに弱さが丸裸にされてしまう。
これまでは気づかなかったことではあるが、強がってるうちに何かを思うことや、想うことを放棄してしまいがちになる。
理由は明白、弱さを剥がれてしまうことが怖いからだ。
それに気がついてからと言うもの
自分の弱さを認識して、付き合っていくことをはじめたのだが、誰だかの誰かしらが歌う"弱さを受け入れて〜"的なJPOPの歌詞の一節、意味がようやくわかってしまった。
"やさしさ"について最近よく考えていたが、"やさしさ"とは先述した"弱さを知る"ことなのかもしれない。
"自分が折れて人を優しく扱う"
これでは自分に優しくないよなと、ずっとモヤモヤしていた。
"自分の弱さを知り、人間の弱さを知る、
そしてその弱さと同じ歩幅で少しずつでいいから歩みを進める"
これこそが、"やさしさ"の正体なのかも知れないとあくまでも一思想として私は想う。
愛する音楽の中の一つに、夜ハ短シのやさしさについてと言う楽曲があり、その楽曲の歌詞に
「やさしさについて考えてる、夜明けをイメージするように」
これだ。
ようやくイメージと結びついた、"やさしさ"とは一体なんなのか、どうしてよくわからないことを愛しく思うのか。
知らぬ間に愛してしまっていること、そばにあることほど気に留めない人間の性なのか。
気づけてしまった今は、夜明けや朝焼け、匂いや温度をイメージするように日々の素晴らしさをようやく焼き付けることができるようになった。
時々、思いもよらないことで自分の描く楽曲に救われることがある。
その事象も、このことからなのかなと思った。
ずっと変わらない"やさしさ"を表す景色を、変わらないままに描いている、または、求め続けている。
それから、近い未来に、私が今まで経て、得てした、"やさしさ"をこの世に産み落とすことが予定されている。
ららら、ららら、ふふふん〜。
もうしばらく待っていておくれや、素晴らしいったらありゃしないんだから。
文脈はちゃめちゃブログをまた始めてしまった。
冬がちらついた秋の中を形ない風を掻いて、生活のため、あなたの為、ちょうどいい酸素を求めて。
November 16 a.m 7:09
"All we need is love and weakness"