水の中にいるような心地
日々、何かについて思考をすること、表現することが私の仕事だ。
遠く差す光は届いている、息は持つのか。
深~く吸い込んだ息を切り崩して進む先は水面上なのだろうか。
エラ呼吸のできない私では水中にある空気をうまく取り込めないのである。
差し込む光から光合成をしてエネルギーに変換して息を継ぐのである。
さて、何が言いたいのかわからない書き出しから始まったブログで有るが、
現段階で、書き進めながら自分が何を綴りたいのかわかっていない。
ただ書かなければいけない気がして、書きたいことがある気がして
今感じていること書いて並べてみれば、なんか自分のいる場所を認識できるんじゃないかなとかって思いながら光った画面とにらめっこをしている。
そう今の自分は脳内にぽっかりと空いた空間に取り残されているような、
脳内を走る幹線道路が渋滞を起こしているような状態なのである、、、?
比喩が多すぎて分からないな、、
要は幸せや希望を確かに感じているのに、
不安や臆病な気持ちが同じだけ存在しているが故に
上手く頭が回らないみたいな感じ。
それを何とか整理してみたいなって思って”考える”を考えてみたり
このブログを書いてみたりしてる。
つかみどころがあるか分からんが興味ある人はしばしお付き合いを。
最近LIVEでやるようになった新しい曲に
「super moon/つきのふね」
という曲がある。
何故だか震えて浮かれた心が躍るー
と歌いだされるこの曲は、まさしく今みたいなことを指している。
歌詞を書き終えて気付いたことであったがこの曲には2人称が存在しない。
この曲は自分を遠く見つめなおして、何がそんなに苦しいのかそんなことないんじゃないかなって考え直す機会を与えようとしてるのかな。
月の光くらい"か細い"舟に乗ってこのやり切れなさから連れ出してほしいもの
連れ出された先でまたよどみのない自分と出会えるような気がする。
言葉ではうまく伝えきれないことを表現したい
別に、夢を見たくて唄ってるだけじゃ決してないのです。
ナカシマナカジと言う”いち、にんげん”との会話とか自己表現のようなもので、
苦しいとかしんどいって、なんかうまく人に伝えられなくない?
それをなんとかして誰かに分かってもらえたら、少しは息がしやすくなるのかなとか思って唄うのです。最早祈りだなこれは。
そうやってできた祈りのような曲の中で、
分かってくれる人がいたり、上手くすり抜ける方法を見つけ出してくれるのってとてつもなくたまらないものだなって思う。
なにがって気付きを得るため、自分のために築き上げたものが
誰かの気付きになったりまただれかの築きになったりする。
まさしくその様が自分にとって大切な光になるので。
”さみしくっても大丈夫、一人じゃないって気がするから!なんか今日は元気だから!”
嘘みたいな話で見苦しいかもしれないけど、
なんとなく、ほんとにそんな気がするから言っちゃうんだろうね。
相対的に存在するはずの気持ちが同時に存在するこのやりきれなさを
強がりとかではなく、乗りこなすように、透通すように
誤魔化して生きる、だな(うまく伝わるといいな…我慢とか無理しようとかそういう意味合いじゃないよ…!勘違いしないでね!)
みんながくれるつきのふねに乗っていけばこの荒波も乗りこなせる気がするもの。
本当に何が言いたいんやろう、分かりそうでやっぱり分からないな、、、笑でもなんとなく、頭がすっきりした気がするなぁ
勝手にはじめといてなんやねんそれって感じよね、失敬失敬。
今は、まだ水の中にいるような心地に溺れそうだけど、
水面に確かにみんながくれる光が重なって白んだところでまた巡り逢えるといいな、それがつきのふねだったらもっといいな。
まだまだ取っ散らかった使えない脳で腹が立つけど、
みんなに唄わせてもらえてるお陰で、みんなが聴いてくれるお陰で
ひとりじゃないって感じられていることは確かだね。
いつも救われてます。
これからも何卒ですな。
まぁ、、なんかごちゃごちゃ書いてるけど
みんな大好き!!
地球に生まれて、ナカシマナカジとして今日も生きられてよかった!!
マジありがとうな、みたいなニュアンスで!
もっともっといい曲書いていくわな!これからもよろしくな!
こちらは、金沢で見つけた誰かのふね
Still in light / Still in watar