袴田さん再審無罪。日本は、指揮権発動、検察の上訴権制限を本気で考えるべき。
私は1966年の生まれだ。ビートルズが来日した年だ。そして、袴田冤罪事件があった年でもある。
私の人生の間、袴田さんはずっと殺人犯の汚名を着せられ耐えてきた。
それは、正式には現在も晴れていない。
私は、世の中の批判を考慮して、検察が控訴するとはとても思えないが、万万が一、控訴するようなことがあれば、法務大臣は検事総長に指揮して、控訴を取り下げさせるべきだ。
いわゆる、「指揮権発動」である。
指揮権発動は、なぜか日本では、ご法度になっている。理由は「司法の独立」である。
しかし、検察は確かに司法の範疇に入るかもしれないが、いわゆる三権分立でいうところの司法ではない。完全に行政組織だ。法務省の下部組織であり、検事総長は法務大臣が任命する。
安倍政権の検察庁法改正騒ぎの時、世間の批判を受けたが、検察は公然とは批判しなかった。あたりまえだ、行政組織なのだから、行政の長たる総理大臣を批判できない。
検察は司法というのは完全に誤解であるし、そもそも指揮権発動は法律で明記されており、違法でもなければ違憲でもない。
このように、指揮権発動が封印されてきた背景には、造船疑獄、ロッキード、リクルートなど度重なる政治不信によって、
「政治=悪、検察=正義」という認識が国民に広まってしまったことによる。
しかし、検察の拷問同然の取り調べが問題になっているように検察というのは強力な権限をもっているから必ず暴走する。
今回の袴田さん再審無罪で控訴すようなことがあれば、それは検察の暴走以外の何物でもない。
政治は、検察の暴走を止める最後の手段としての指揮権発動を、完全に封印するべきでない。最後の砦として、その効力をとっておくべきだ。
実際に発動しなくても、発動するかもしれないという可能性があれば、それだけで、検察に対する抑制になる。
また司法問題が国際問題に発展した場合は、一歩間違えれば、戦争に発展することもあり得る、その場合の判断を、国民の信任を得ていない一行政官の判断に任せていいのか。国民の信任を得た政治が判断すべきではないのか。
もっとも、安易に発動すべきでないことは確かだ。そこはマスコミや国民はしっかり監視するべきだ。
もう一つ考えておきたいことがある、それはそもそも上訴権(控訴、上告、抗告など)というのが、検察に無制限に認められていることだ。
今後、問題になるであろう再審法改正では、再審審判において、検察の抗告を認めないとすることが柱になっている。
しかし、私は、再審審判だけでなく、そもそも原審でも検察の上訴権を制限するべきだと思っている。
上訴権というのは、そもそも被告を冤罪から守るためにあるにの、実際は、検察が何が何でも起訴したものは有罪にし、再審を遅らせるために利用されているのが実態である。
上訴権の本来の趣旨とはかけ離れている。
実際アメリカのように、上訴権が制限されている国もある。
なぜか、日本のマスコミや評論家から「指揮権発動」や「上訴権制限」が問題にされることがない。
私が唯一知る限りでは、元検察官で現在は弁護士である郷原氏だけだ。あとは全く聞かない。
その背景には、マスコミや評論家は「検察の独立」を言い過ぎたことがある。今になって、「指揮権発動」を言い出したら、今まで言ってきたことと完全に矛盾してしまうためだろう。
ただ、もうほんとにそんなメンツを捨てて、本気で考える時期だ。
日本はこのまま検察暴走国家でいいのか。