ギャンブル化する日本の裁判。
袴田さん再審無罪判決が出て、世の中は、より冤罪に対して、シビアになるとおもいきや。
実情はまったく正反対のようだ。
有罪のハードルはますます低くなっている。
羽曳野市の殺人事件。以前、状況証拠と消去法だけで起訴したと、批判したが、有罪判決に至った理由が以下の記事に詳しい。
これを読むと、一見、有罪は間違えないように思えてくる。
しかし、要約すると。
検察や、裁判所は、犯行のストーリーを決め、それに合致する状況証拠があり、他の犯人が考えられないようなら有罪。
ということに思えてくる。
もっと他のストーリーはないのかと私などは疑ってしまう。
仮に、被告人が真犯人だとしても、他のストーリーも考えられるはずだ。
例えば、逆に被害者が、被告に暴力をふるって、過剰防衛で殺してしまったとか。
ドライブレコーダーとか、センサーライトとか、本来は客観的な証拠のはずが、不完全なまま、検察側のストーリーにいいように利用されているように見える。
この事件に限っては、この被告人は本当に、犯人かもしれない。
でも、こんな認定方法をしていては、10件に1件くらいは、ほんとうに冤罪だって生まれるはずだ。
9人の真犯人を逃しても、一人の冤罪を出してはいけない。
それが、近代刑事司法の大原則だ。
裁判はギャンブルでない。