検察と裁判所の相互依存スパイラルが起訴ハードルをどんどん下げる。

6年前の、状況証拠しかない殺人事件の公判が始まったというニュース。

なんか、最近は状況証拠だけの起訴がやたら多いと感じる。特にこの事件などは、その状況証拠自体もとても弱い。

「似た人物が写ってる」とか、不確かな証拠。
「近隣住民以外にありえない」とか、消去法。
そもそも動機自体も弱い。

この被告が、本当に犯人かどうかは分からない。しかし、これだけの証拠で、一人の人間を殺人罪で起訴してしまう日本の検察。恐ろしさを感じる。

近所で、殺人事件があった、防犯カメラに自分と似た人物が写ってる。その被害者とちょっとしたトラブルがあった。

それで殺人罪で起訴されてしまうのだ。

日本人はもっと怒るべきだ。

この状況証拠だけの起訴、最近やたら多いように感じる。私の感覚で言うと、「和歌山毒物カレー事件」あたりから、増えてきているような気がする。しかも、そのハードルがどんどん下がってきているようだ。

どうしてこうなってしまうのか。

私は、検察と裁判所の相互依存があると思う。

日本の検察は、裁判でほぼ100%有罪を確信しないと起訴しない。いっぽう、裁判所は検察が起訴したものは100%ほぼ有罪と思っている。
検察が、たまに冒険をして、「これ有罪にできるかな」という少々自信のない起訴をしたとする。
それに対して、裁判所は検察が起訴したものだらという、安易な判断があり、明確な無罪の証明がない限り、有罪判決を出してしまう。
そうすると、検察はこれで有罪になるんだと学習してしまう。

この検察と裁判所の負のスパイラルがどんどん起訴のハードルを下げる。

この負のスパイラルを止める唯一の仕組みとして、「裁判員裁判」がある。
しかし、最近は「裁判員裁判」で無罪となったものが高裁で逆転有罪になるケースもあり、ブレーキが効かない。

日本のマスコミや評論家は、冤罪が確定したり、確定しそうになると、騒ぎ始めるが、こういった起訴の段階から、問題にしないと、冤罪はなくならない。もっと賢くなれよ。

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