無罪や不起訴が確定してから、司法批判するのは簡単だ。
最近、無罪になった事件や、不起訴になった事件の検察批判や、人質司法批判が多い。
しかし、無罪や不起訴が確定してから、検察の拷問まがいの取り調べや、長期拘束、推定無罪無視など批判するのは簡単だ。
なぜなら、その人は無実であり、何も悪くない一般市民だとわかっているからだ。
これが、もうだれがどうみても証拠が明らかで、極悪非道な犯罪に対して、同じ批判ができるだろうか?
こんな犯罪者の人権などどうでもいい。
多少強引な取り調べをしても真実を得るためらなしょうがない。
黙秘は弁護士の入知恵か、卑怯者だ。
保釈などもってのほか。
残念ながらこれが、日本人の実態だ。一般市民ならともかく、マスコミや評論家、弁護士までこの調子だからあきれる。
「これだけの証拠があるから有罪は明らかだ」という言い訳は禁物である。
推定無罪の原則というのは、すべての被疑者に適用される。「これだけの証拠があるから」と言った時点で、裁判の前にすでに判決を下しているのである。
それに、多くの冤罪は、逮捕された時点ではみんな、日本全国が、こいつが犯人に違いないと思っているのである。袴田事件もそうだった。
結局、この壁を日本人が乗り越えられないところにすべての問題がある。まずは、マスコミ、評論家、それからワイドショーの御用弁護士、こういった連中が最初に変わるしか道はない。