本当に悪いのは捜査機関ではなく裁判所。
あぁ、日本のマスコミや評論家のレベルの低さにはほんとあきれるばかり。
考察が甘い。
最近、警察や検察など捜査機関による強引な取り調べの違法性や、黙秘権無視の取り調べに対して、それを違法とする判断が多く出ている。
例えば、
取り調べによる違法性の判決が多く出ていて、それはそれで良いことである。しかし、多くのマスコミや評論家が捜査機関のみ責任を追及している。
しかしだ。本当に悪いのは裁判所だという事を誰も指摘しない。
捜査機関は、正義感に基づいて、職務を実行しているだけであり、可能な限り、有罪を得ようと、ありとあらゆる手段をとることは、ある意味自然であり、それが暴走することも十分あり得る。
であるから、捜査機関だけを追求してもこのような事は繰り返されるだろう。
そもそも悪いのは、裁判所だ。
裁判所が、検察官の作文である供述調書を簡単に信じるから、このような違法な取り調べが行われるのである。
例えば、「今市事件」などは、ほぼ供述調書だけで有罪になっている。
自白だけの有罪は憲法で禁止されている。
なぜ、裁判所はこうも簡単に供述調書を信じてしまうのか。
検察官の作った作文の方が、法廷で裁判官の前でしゃべった事よりも優先されてしまう。
裁判官はそもそも公判など信じていない。被告人は公判では真実を話さないと本気で思っているのである。ならば、公判など開く意味はないではないか。
そもそも、長期間にわたり、密室で、弁護士の立ち合いもなく作った供述調書にどれほどの証拠価値があるのか。
裁判所は、供述調書は証拠として採用してはいけないこととすべきだ。
供述調書を証拠とするのではなく、供述から得られた客観的な事実が重要なのである。供述は、被告人が公判で述べたことだけを証拠とすべきである。
それと、やはりシステムを変えないいけない。
弁護士の立ち合いは必須であろう。
民主主義先進国で弁護士が立ち会えないのは、日本だけである。
この点は、中国や北朝鮮と変わらない。
また、弁護士の立ち合いを認めるには、今の日本のシステムでは、取り調べ時間が長すぎる。これでは、事実上弁護士は立ち会えない。
日本では、数十日にわたって取り調べを継続することができ、これも世界的にみて異様に長い。
せいぜい2~3日に制限すべきだ。
これもあまりマスコミ等からは指摘されない。
取り調べ期間を短くしない限り、弁護士立ち合いは実現しない。
それと、やはり、最後に指摘しておきたいのは、日本の司法文化だ。
日本人の司法の基本は、「大岡越前」であり、「遠山の金さん」であり、「水戸黄門」である。
悪いをことをしたら、すべて認め、「申し訳ございませんでした」と反省して、それで一件落着。めでたしめでたし。それで、最後に黄門様が笑う。
日本人はそれですっきりするのである。
「黙秘権なんて使うのは、本当にやったからに違いない」
「弁護士を付けるなんて、反省してない」
本当に日本人はそう思っているのである。
そういった日本人の集団の中から、裁判官が生まれるのである。
供述調書を簡単に信じる裁判官はある意味、日本人の集約された鏡だ。
マスコミや評論家は、何かと捜査機関だけを追求しがちであるが、裁判所やシステムの問題。それから、日本人の司法文化まで入り込まないと、こういった問題は解消しない。そして、冤罪の悲劇は続く。