女流陶芸家という生き方 その2
女流陶芸家という生き方、の続きをお話しします。
10代後半から20代にかけては、まさに無我夢中で陶芸に取り組んでいました。
皆さんも、陶芸について少し考えてみてください。
きっと、「奥が深そうだね」という感想になると思います。
私にとっては、練習すれば少しずつでも技術を上げていくことができるのが嬉しくてやっていただけです。
もちろん、後になって奥が深いなぁと実感して、今だに「いやぁー、一生道半ばなんだろうなぁ」と思ったりします。
そもそもなぜ陶芸かと言うと、以前、[人は先祖の影響を受けているのか]というタイトルでお話ししましたが、先祖から受け継いだ血によるものか、又はたまたま私の性格と陶芸の道が似ていたからなのかかもしれません。
修行の道を歩みながら、陶芸家または女流陶芸家というアイデンティティーは私にとってしっくり来るものとなっていました。
しかし、ある時から上手くいかなくなるのです。
30代になり、銀座の陶芸教室の講師を辞めました。
その時は体調を崩したからだと思っていましたが、後から思えばスランプ。
自分の技術は全然足りないのに、生徒さんには教えられないと感じていたんです。
自分の思い描く「陶芸はこうあるべきだ」というものからギャップが生じていたんです。
もう一つは恋愛面です。
いざ彼氏が欲しい、結婚したいと思って行動しても、男性には「はい!私は陶芸家なんで」と、無意識にアピールしていました。
正直、初対面の男性だと引きますよね。
仕事に誇りを持っているっていうのが悪いんではなくて、相手の男性より仕事が大事と宣言してるようなものです。
でも当時の私には、なぜ上手くいかないんだろうと不思議でした。
きっと私は、陶芸こそパートナーだと思っていたんでしょうね。
ところで、女流陶芸家という名前、別の言い方をすると「窯グレ女」と言うそうです。
陶芸の「窯」と「グレる」の造語です。
意味は諸説ありますが、言葉のイメージだけでも何か凄みがありますよね。
私も、この窯グレ女の生き方を貫くという選択もあったかもしれませんが、「そうでは無い」と私の中心点のようなものが言いました。
それは、私の源とも魂とも呼べるものだったのかもしれませんが、とにかく一旦立ち止まることになりました。
そして少しずつ見えてきたんです。
あー、私は元々私だったんだと。
陶芸家はあくまでも生き方であって私そのものではないんです。
技術を磨くために粘り強く取り組む、そのパワフルな生き方というのを手に入れて、今度は私はそれをいつどのように使うかを決められるんです。
15年以上も前に訳も分からず体調を崩してやめた陶芸ですが、いまだに続けていられるのは本当にありがたいと思う今日この頃です。
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