【大阪西成物語】令和西成コメ騒動
「だ、だれや、コメ、炊いてきたんは」
ふらりと立ち寄った三角公園のステージの上でシンゴと名乗る司会のラップ歌手が困った顔をすると会場から爆笑が起きる。
きょうは一年に一回のカンパライブらしい。ほかと違うのは入場料がおコメなこと。一俵でもいいし、一握りでも大丈夫。中には近所のコンビニで買っていそいそと持ち込むひともいる。サラサラのコメが欲しいのに、ホカホカに炊いて持ち込まれたコメは、スタッフが大慌てで近所の老人ホームに持って行った。
シンゴの幼なじみというDJが大音量で音楽をかける。「この曲知っている人は?」。会場から「イェーイ」と声が上がると、「なんや、知っているのか」と、5秒もしないうちにストップ、近所のウワサ話を3分みっちりやる。音楽5秒、ヨタ話3分のヘビーローテーション。ここではDJは漫談が仕事のメインらしい。
おまけにその「音楽」でわたしの知っている曲は一曲もない。日本でここだけ、全く別のヒットチャートが流れている。「この曲好きー」とみんなで体を揺らしている。盛り上がる会場で私は一人取り残されていた。
音楽だけではない。映画もプロレス興行もコンサートもポスターが大量に貼られているが、出演者は全員知らない人ばかり。アマチュアが自分たちのために、独自のものを作ることに命をかけている。先日は場末のバーで「これ、俺のテーマ曲やねん」とギター片手に「タンタンタンタン、田中くーん」と歌い出した人を見たことがある。作るのはいいけどさ、どこで使うんやろ。バーに居合わせが曲全員でツッコミを入れていた。
去年まで住んでいた東の大都会では、アマチュアでもコンサートを企画すると、ベートーヴェンやモーツアルトなどすでに定評のある曲でないと企画が通らなかった。アマチュアなんだから好きな曲やればいいのに。自分の町のオリジナル曲を提案しようものなら「あのさー、かっこ悪いからやめなよ」「失敗したら責任取れるのか」と上目遣いで注意されて終わり。音楽が好きなんじゃなくて「音楽を好きな自分」が好きな人たち。アル中になった私は逃げるようにこの町に移ってきた。
「東京ではオリンピックらしいけど、ここでは米カンパライブやー」。ステージの上でのシンゴの絶叫は続く。受付にひっきりなしに集まった米は三千六百七十五キロ。でもここで取引されたのは米だけじゃない。自分たちが自分たちの曲で楽しむんだ、という生への喜びだった。