度が過ぎた悪ノリを一緒に笑っている人は、同罪だ。
子供の頃も大人になっても、楽しそうに人が嫌がることを言ってくる人はいる。そしてその周りには、“ただ笑っているだけ”という罪のないふりをした悪人が集う。
たとえば子供の頃、こんな経験はないだろうか。
いじめの主犯格「おい!ぶすー!」
その他「ハハハハー」
そう、今回取り上げたいのは、この一緒になって笑っている人のことだ。
いじめの主犯格は「ぶす」と言った時点で間違いなく罪人。真っ先に処罰される対象であるから良いとしても、一緒になって笑っている人のことを「一緒になっていじめていた」と訴えても、「いいえ、私はただ笑っていただけです」という言い逃れをする。
罰することができない分、余計に質が悪い。
きっといじめられている自分も、横で笑っている人に対して心のどこかで「笑っていないで、助けてよ」と思い、期待してしまっているから、さらに悪人に感じるのだと思う。
学生や社会人になると、いじめは“悪ノリ”と名前を変え、余計にややこしくなる。なぜなら、悪ではなく冗談のテンションで言ってくるからだ。
しかし、言われている本人からしたら、嫌なことを言われて、周りに笑われている訳だから、状況は全く変わらない。その上、“ノリの良さ”を周りから求められるのだから溜まったもんじゃない。
「やめてよ!」なんてはっきり言うと、周りから「冗談で言っているのに、なに本気にしてるの?」とノリが悪いやつの扱いを受ける。
だから、「その場の空気を悪くしたくない」という一心で我慢をしたり、冗談っぽく「やめてよー」と言ったりして乗り切る。
そうして家に帰った後、すごく悔しい思いをする。嫌なイジリをしてきた人はもちろんのこと、便乗して笑っていた人のこともすごく嫌になり、頭の中でその笑い声が響き、忘れられない。
しかし、しばらくして遊びに誘われたら、「誰とも遊ばないのもさみしいし、嫌だったのも一部だけだからいいや」と思ってまた遊びに行っては、また同じことが繰り返される……。
そんなことはもう、やめよう。
嫌なことははっきり、「嫌だ」と言うべきだ。嫌なことを言ってくる人にも、「周りで一緒になって笑っていることが、すごく嫌だ」と言おう。
それでもやめてくれないのなら、それは友達でもなんでもない。距離を置こう。我慢して笑われている必要なんて、全くない。
私はいじられキャラで、そういう思いをたくさんしてきた。
大学のサークルのとき、一日中いじられて、散々嫌だと言っても辞めてくれないことがあった。
その我慢が限界に達し、度が過ぎたイジリをする男の子とその横で一緒になっていつもケラケラ笑っているかわいい女の子にコップの少量の水をかけてしまった。
水をかけたこと自体はよくないし、許されることではない。しかし、全く後悔はしておらず、とても清々しい気持ちだったと今でも思い出す。
チヤホヤされて育った女の子は、そんな目に遭ったことはないようで、「なんで私にも水かけるの?」と泣いていた。
いや、度が過ぎた悪ノリを一緒に笑っている君は、同罪だ。
もしあなたが、度が過ぎたノリに遭っているのなら、相手に気を遣ったり、ノリを重要視することはない。あなたはそんな我慢をして付き合う友達と過ごすために生まれてきたんじゃない。
同じような思いをしている人はたくさんいるはず。さぁ、一緒に闘おう。