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遺書のような流れから決意を表明するnote

前書き

なんか全然眠れなくて、深夜だけど久々に書くことにした。
さっきコンビニに向かいながら、空気感で秋になったなって感じた。虫の鳴き声とか涼しい風とか。今年はコロナであっという間に半年近く過ぎてしまったけどちゃんと時間は進んでいるんだなとおもった。

大学入ってから、もう3年がたった。入学式の後、わけわからないところにある白門で写真とってから2年半たったと思うと怖い。3年も夏になれば、就活が始まった。よくある自己分析のフレームワークをあちこちのインターンとか就活サイトでやらされた。結局、教育業界に進もうって決めた。なんでこうなったかを考えたくて今、この文章を書いている。半端なく長くなるかもしれないけど、興味があったら最後まで読んでほしいです。

無口な中山少年

幼稚園前の記憶はもう全くない。なんなら、幼稚園の記憶もほぼない。唯一あるのは、ポケモンごっこが流行っていて、バトルの再現中に友達の攻撃が僕の鼻を直撃して鼻血が出たことくらいだ。今の僕を知っている人からは想像もつかないだろうが、ものすごく無口で、おとなしい子だった。今もそうだが、頭の回転もひらめきも運動神経も、並くらいで目立つことはほぼなかった。早生まれだということもあって、発達が周りの子よりも遅くて、周りの様子を見て、それを真似するので精一杯だった。そしてとても偏屈だった。ジャングルジムの1番上まで登るやつを見て、「それがなんになるんだよバカ。」って本気で思っていた。(高所恐怖症でジャングルジムは登れなかったので)

小1の秋頃、生活科の授業で「自分の好きな植物を観察する」というワークがあった。みんながまだ葉っぱのついているやつとか、大きい木とかを観察しているなか、僕はちっちゃい枯れた木を観察していた。対象物の絵を描いて、気づいたことを7行程度書くだけのワークシートだったのだが、僕はそれを白紙の裏面まで文字でびっしり埋めた。褒められたいという野心的な下心は一つもなかった。後日、保護者との3者面談で、担任がそのことを心から褒めてくれた。(話すことが他になかったのかもしれないが。)僕の記憶にある中で最初に褒められた。幼心ながら、観察は得意なのだと思い込んだ。それから意識的に人や物を観察するようになった。「なんでそうなるの?」みたいな純粋な疑問をたくさん抱えていた。周りをみると、スポーツが得意な子、さりげない優しさを持ってる子、みんなを笑顔にする子、ばかりで自分に対する『自信』みたいなものは1mmも持ってなかった。

人前で歌う中山少年

2年生になり、担任が変わった。蜂須賀先生というオバちゃん先生だった。この先生の存在も僕の人生に大きく影響を与えている。1年生の頃、観察力に絶大な過信を抱いて、(たった1度褒められただけだけど)考えることの楽しさみたいなのを知ったつもりでいる僕は、毎日観察しては心の中で分析するという作業を繰り返していた。とは言っても、表に出すことはほとんどなくて、本当に心を開いていた数人の人に対してのみ、自分の考えをこれでもかと話した。蜂須賀先生は、歌に力を入れていた。毎朝選ばれた人が、前に出て見本として歌う。本来なら最悪な出来事だが、あのクラスではなぜか安心感があった。先生は必ずその生徒を褒めた。当然、一人一人にあった褒め方をしていた。まだ純粋だった僕は一生懸命歌うので、よく褒めてもらった。そこで初めて人の前で自分を表現してもいいんだと思った。集団の中で認めてもらっている安心感は、僕に自信をくれた。できなくても笑われないし、むしろだれかが助けてくれる。そう思えるようになった。

バラエティとスポーツしか流れないTVだったこともあって、『お笑い』が好きになった。特に漫才なんかは、言葉のみで人を笑わすということに信じられないくらい憧れた。小5の時、担任が「お笑い係」はやらないか?と提案してくれた。その頃には、今のおしゃべり小僧に変貌を遂げていたから、そのエネルギーをいい方向に使わせてくれたんだと思う。お笑い係では、今までの観察の成果が遺憾なく発揮された。気づいたら友達の数も増えていった。でも幼稚園から続く偏屈さは治らなかった。人の悪いところとか弱点ばっかみてた。それは中学3年まで続いた。

大きな転機を迎える中山少年

中3の頃、塾に入った。入塾してすぐに、久下沼先生という人に「目を見て話が聞けて素晴らしい」と褒められた。(先生は覚えていないかもしれないけど。笑)自分が小学校の頃からずっと意識していたことだったが、褒められるのは初めてですごく嬉しかった。一人一人の生徒の長所や小さな変化に気づいてくれる先生たちに囲まれて幸せだった。また、その塾では毎日、”今日あったいいこと” ”今日の感謝” ”自分のいいところ” ”友達のいいところ” を書くのがルールだった。常に人の弱点を探していた僕にとって毎日、人のいいところを書くという作業は大変だった。でも、続けていくうちに慣れてきて、卒業時には嫌いな人のいいところもみれるようになった。これは本当に大きな成長だった。

謎のタイミングでの決意表明

長くなるので厳選してしまったが、花田先生とか、少年サッカーの比田井コーチとかも含めて僕はたくさんのいい先生に出会えた。その先生たちの共通点はみんな個人を大切にしてくれたところだ。全体で一括りにせず、僕の成長を本気で考えてくれた。もし全体を一括りにして均一を求められていたら、僕はきっと弾かれていただろう。でも多くの人のおかげでなんとかここまで生きてこれた。だから今度は自分が、子供達に対して『自信』とか『居場所』を創る手伝いをしようと思う。幸運なことに、今僕は中学時代に通っていた塾で働かせてもらっている。これも塾長である久下沼先生のご厚意によるものだから、中学時代含めて考えると、全く頭が上がらない。自分も偉大な先生方のように“個性”を認め“粒違い”を歓迎できる教育者になろうと思う。

後書き

下書きなしでこの文量なので、最後の方とか何言ってんのかわからなくなってきたな。笑
なんかこれだと締まらないので、最近になってハマったNiziプロジェクトでのJ.Y Parkの言葉を乗せて終わりにする。
「スター性とは特別な何かに恵まれていることではなく、自分のどんなところが特別なのかを知ること」
関わる子供達が自分のスター性に気づけるように、明日からまた頑張ります。
よし、Niziプロの韓国合宿の続きから見るぞ!(※誰がデビューするのか楽しみだからネタバラシやめて)

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