ちょっぴりバッドエンドなのに幸せそうに歌うのは何故なのか? 「ぼくらが旅に出る理由」
ぼくが定期的に聴き返す曲に小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」がある。
カバーもよく聴いていて、野宮真貴のものもよく聴いたが、いまは安藤裕子のものをリピートすることが多い。
この曲は歌詞と曲に乖離があるのではないかと思って昔から不思議に思っていた。
旅に出て別れるんでしょう?
それなのに幸せそうに歌うのは何故?と。
実際のところは、曲のサビにあたる
「遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ」のところは、コード進行がGからDメジャーということで、不安定な寂しさからの開放がこの曲の味噌なのだが、それはいい。
問題はこの「あふれる幸せを祈るよ」なのだ。
「ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手を振ってはしばし別れる」からだ。
旅には色んな意味があるだろうが、ぼくは死だってしばし別れる旅の一つだと思ってる。
死は寂しいけど、いつまでもクヨクヨしてられない。
なぜなら「街中でつづいてく暮らし」があるからだ。
そういう、出会いと別れをこのように明るく祈りと共に歌い上げた曲はそう多くない。
ここにぼくは小沢健二の唯一無二の才能を感じてひどく感心する訳だ。