秋は夕暮れ。ひとり内省にふける夜も残っているよ。
秋もいいものだと思い始めたのは、ついこないだのことだった。ずっと春っぽい、音楽で言えばマーチのような浮き立つ感じが好きだったんだけど、いつまで浮かれてるねんとちょっと思いだした。引き出しが増えたかもしれない。
秋というのは、いろいろ深めていく季節だと思う。
時間とか死を強く意識するようになると、四季に敏感になるのかもしれない。ぼくは本当に最近のことだった。
40歳ぐらいまでは、あんまり自分が死ぬと思わなかった。時間を忘れていた。がむしゃらにもがくとでも言うか。それが40の厄年と言われる時期に差し掛かると、ふと、ああ、自分もいつまでも生きてるわけじゃないんだなと身体的に気付かされる。ぼくは3回入院して、1回骨折した。かなり堪えた。
ひょっとしたらだけど、最近社会で生産性と言われだしたのは、日本社会がもしかしたら秋のような成熟を求め始めたのかもしれない。
いつまで満員電車に乗るねんみたいな。乗らないので知らないですけど。ぼくは満員電車というと、経済成長を求めてがむしゃらに働いていた父と母の時代のことを思い出してしまう。
最近、お父ちゃんとお母ちゃんがいなくなるとつらいなぁというのが日々大きくなっています。自分ひとりで生きていけるんだろうかとか。
会社で言えば、金太郎飴みたいな社長だったとしても、居てくれたらありがたいんだろうと思います。会社員ではないので分からないけど、たぶん無意識下ではそう思ってるはず。
46ぐらいの歳になると、いろいろ深めるしかないのかなという気がしてくる。目新しさが乏しくなってくるので。あと選択肢としていまさらパイロットにもなれないしな、とかね。限界みたいなものを強く意識するけど、まだ終わらない。逆に言えば、まだ何も始まってねえよとすら言えるぐらいで。『キッズリターン』知ってます?
北野武監督の『キッズリターン』は若い頃観た青春映画なんだけど、ラストシーンの「まだ始まってもないよ」というのが、当時意味不明だった。どうやら劇中の若い俳優と監督のたけしさん自身の思いでのダブルミーニングだったのかもしれない。
比べるとあれですが、自分が映画を撮ったときのたけしさんと同じ年頃になってみると、どうにも中途半端な気がしてならない。客観的に見たら、あなたがそう思うのは仕方ないと思われるかもしれないが、そういうことでもない。
キッズリターンというのは、「春よもう一度」みたいなことなんだろうと思う。やっぱり心が浮き立つようなことは楽しいことだし。一方で、皮肉みたいにラストシーンで「まだ始まってもないよ」と言わせちゃう気持ちも分かる。それぐらいは充分に歳をとったから。
ぼくがそれに対して思うのは、秋になってしまったんだったら、今まで撒いてきた種も少しはあるんだろうから、それを収穫までいかなくても、少しずつ深めていくのがいいんじゃないかということでした。そうすると、少なくとも精神的には落ち着く。中年はアイデンティティの危機の時期でもありますしね。(笑)
そして、中年になろうが、やっぱりまだ「終わらない」というところはあるんです。暦が移れば、また春が来る。それはいくつになってもそうだと思うし、ぐるぐるぐるぐる、おんなじことを繰り返すのかもなとも思う。
だけど、もう少しマシにならないか。
それが、いまのぼくの願いです。
昨日の夜、元チャットモンチーの橋本絵莉子さんの新しいアルバム『日記を燃やして』を聴きながらそんなことを考えていました。中年にはキュンとする曲が多い素敵なアルバムでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?