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仕方ない。自分をプロデュースしてみるか。
どんなに困っても、自己プロデュースが出来たらどうにかなりそうな気がする。自己啓発と少し違う。
日本をプロデュースするとかはまず無理なので。笑
そういう大掛かりで人頼みなことを考える前に、まず自分をプロデュースしてみようということだ。
さて、プロデュースって何をしたらいいんだろう・・・。
とりあえず、何かやってみるしかなかろう。
まずは儲けとかは度外視する。
ぼくの場合、あれこれ関心はあるんだけど続かない…ってなることが多くて、それは自己プロデュースの観点が欠けていたからじゃないかという気がする。自己プロデュースにおいて大事なのは、いまの自分にとっての優先順位付け(プライオリティ)だろう。
例えばの話、いまの自分なら、小説よりも音楽の方が優先順位が高い。小説に時間を割いて、音楽が聴けないのは結構苦痛だからだ。単なる個人的な動機ではあるが。
儲けを度外視しても、自分の資源、リソースは有限で、自分の時間、お金、体力をどう上手く配分して、自分の中で満足度を高めていけるか。
これが優先順位付けじゃないかと思う。
自己プロデュースの第一の基本は、自分の好きなことをやることだと思う。嫌なことはなかなか続かない。勉強だって、役に立つと思えたら楽しいものだけど、なんの役に立つか分からない勉強は苦痛でしかない。
ぼくは自分の嫌なことに対する耐性が弱くて、すぐに逃げ出してしまう。我慢強く勉強を続けていれば、ある日、はっと、意味に気がついて勉強しておいてよかったと思うことはある。
高校物理と高校化学は、情けないほど半端なデキで卒業したが、今頃になって質量保存の法則を思い出して、宇宙の法則を想像したりすることもある。
勉強というのはだいたいそういうものらしく、真面目に勉強しておいたことが、後々役に立ったりするものらしい。
それはそうなのだけど、自分の持ち時間を意識すると、全部は無理だよなと思うようになる。
それで、手っ取り早い基準が、自分の好きなことになる。
自分の好きなことというのは、過去の自分に条件づけられているし、たまたま偶然なのかもしれないよ、とは思うのだけど、まあ、ないよりはあったほうがマシだ。親ガチャみたいなもんでも。
実はここに鍵があるのかもしれなくて、その過去に縛られた自分を開放するのが、案外勉強なのかもしれないと思う。
自分の好きなことから、ちょっとずつ客観に開けた世界に向かうのですね。凡人でもできる自己超克。
どんなにお金持ちだってリソースは有限だし、リソースの配分が自己プロデュースみたいなものなのだ。たとえ貧しくても、リソースの配分は考えなければならない。
こういうのは、学校を卒業してから「ほぼ日」に通ったりする中でコツコツ勉強してきたんですが、ぼくも、「は?自己プロデュース?恥ずかしいことを言ってんじゃねえ」って思ってたんだけど、困ったら自分をプロデュースするしかないじゃないですかね…。