メタ認知からアイデアを生み出す〜夕陽スイッチ〜
ぼくには、思わず撮ってしまう景色があります。
それは、「夕陽」です。たまたま自分の写真フォルダを見返してみると、夕陽の景色が大量に残されていました。
きっと、こうしたシーンは幾度となく遭遇しているはずなのに、ぼくは夕陽の光に、無意識のうちに引き寄せられていました。
「夕陽」———。
眺めていると、今日も一日終わるのかという寂しさと、なにか落ち着く気持ちとが入り混じります。一方で、日の入り後の数十分間は、「マジックアワー」と称されるほど、このわずかな時間でしか生まれない、なにかに出会える瞬間であります。あたり一帯が光に包まれたあとには、真っ暗な夜が待っています。
昼と夜のはざま。相反するものが隣り合わせに存在する時間。
夕陽が「なんとなく、好き」。
これまでその理由を突き詰めたことはありませんでしたが、意識的にとらえ直してみました。
すると、ひとつの仮説が浮かび上がりました。こうした夕陽への感情は、もしかすると生い立ちや過去の実体験に紐づいているのではないか、ということです。
夕陽を目にすると、生きている実感を突きつけられる感じがするのと同時に、想像力が掻き立てられながら過去の記憶とリンクして、当時の豊かな感覚が戻ってきます。景色と身体の感覚が強く結びついているんです。
振り返ってみると、ぼくは今でも昔の記憶の一部を鮮明に思い出せるくらい、とても感受性が強かったように思います。
これは、小学生の頃に描いた絵です。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のワンシーン。共働きの家庭環境だったので、帰りを待つまでの間、VHS(時代を感じますね。笑)が擦り切れるほど何度も何度も観ていました。ストーリーのすべてを理解できたわけではないけれど、得体の知れないなにかを感じ取って、強烈に惹かれていたんです。
香川と高知に故郷をもつ両親のもとに生まれたぼくは、海や山と近い距離で幼少期を過ごしました。物心つく前から、自然が放つエネルギーをこれでもかというほど受け取っていたのだと思います。
当時、こんな絵も残しています。ここに描かれているどの生き物も、ぼくより大きいんです。
こうした多感な幼少期を送ったぼくは、今でも夕陽のような自然現象を目の前にすると、自分のなかのスイッチが押されて、ゾーンに入っていきます。同じように心を大きく揺さぶられたエピソードが、次から次へと引っ張り出されてくるんです。
「今、目の前に広がる景色って、あのとき感動した景色と似てるな」という感覚から、当時の考え方や感性、仕事の内容、仕事の仲間との会話などの記憶が蘇ってきます。ときには夕陽がトリガーとなって、今関わっているプロジェクトのアイデアが湧き出てくる。ぼくにとっての夕陽は、自分のなかの引き出しを活用するためのいわばスイッチなんですよね。
今の仕事とつなげて考えると、プロジェクトも暗闇のなかで一筋の光を探している時間が楽しいんです。かつて、秘密基地をつくっていた頃の童心とシンクします。だから、やめられない。答えがない難問や、めちゃくちゃピースの多いパズルにハマってやめられないのと似ている気がします。
一筋の光を探して現在と過去がつながり、アイデアを掴み取っていく。これが、ぼくがやってきたメタ認知を活かした仕事のスタイルなのだろうと思いました。
斬新な「イノベーション」といわれるものだって、完全なる0→1ではないんです。記憶を手繰り寄せては組み合わせながら、閃きは生まれていきます。
皆さんにとって、夕陽に相当する存在はありますか?もしすぐに思いつかなかったら、普段何気なく繰り返している行動を振り返ってみてください。仕事に悩んだときのヒントが、そこには隠されているかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます! 今後もキャリアのことや、仕事の中で得たおもしろい学びを発信していきます。お役に立てたらうれしいです^^