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人生を通じて「勝つ」とは何か〜車氏形意拳技法「獅呑手」

私は車氏形意拳を学んでいないが、形意拳創始者・李洛能の大弟子・車毅斎(写真左)とその高弟・布学寛(写真右)には大いにリスペクトを寄せている。

『武術』2002年春号より各所引用して、この両師が重視した技法「獅呑手」を紹介したい。

「車毅斎は人を傷つけるのをとても嫌がった」
「(獅呑手は)車毅斎が晩年に生み出したひとつの技撃法だ。獅呑手は人を傷つけずに制する技法だ。車毅斎が編み出した獅呑手は技撃の意味も当然あるが、相手にケガさせないための招術でもあったのだ」

この獅呑手を受け継ぎ、長年をかけて磨き上げたのが、車毅斎の得意弟子・布学寛である。

「人との比武において学寛は決して相手を傷つけることがなく、およそ柔化の技法をもって相手を封じた。その一生で怨恨に始まる争いをしたことがなく、たとえやむを得ず比武するときも相手を打ち据えることはなかった。
『人と相対するということは人を打ち壊すことではない。本当の良い方法とは、相手に先に手を出させ、それを制し相手を敬服させることである。これができてはじめて高手と言える』
と(布学寛は)語っていた」

武術が「自分のなすべきことをなすための技術」であるとするならば、布学寛が提示している水準は極めて高いものである。

武術の高みをめざすのであれば、布学寛の要求水準に達したいと思う、それくらいの理想の高さを持ちたいものだ。

対して、同記事で反面教師として書かれているのが同じ車毅斎の弟子・李複禎である。

「それとは対照的に李複禎は試合で多くの人を傷つけた。殺すか、また殺さなくても確実に廃人にした」
「そして、彼には3人の息子がいたが、皆、血を吐いて次々に死んでしまった。家を継がせるためにとった養子までもなぜか血を吐いて死んでしまった。当時の社会は迷信深い。皆が『報いだ、李複禎の残忍な行為が招いた報いだ』と騒いだ。
布学寛はそんな師兄の行為を教訓にして、人を傷つけずに制する獅呑手を好んで練習し、広く伝えたのだ」

杉下右京になったつもりで推理すれば、李複禎の息子たちは、恨みを持った者に毒殺されたと考えるのが自然ではなかろうか。そうでなければ養子まで同じ死に方をする説明がつかない。

著名な八極拳の達人・李書文もまた、残忍に対戦相手を殺害し続けた結果、恨みを持った者に毒殺されるという最期を迎えた。

自分の人生をどのようなものにしたいかを人生全体を通じて考えるとき、

「この者は、恨まれて毒を盛られて死にましたとさ。とっぱらりんのぷう」

で終わって、本当にいいのかどうかという話である。

まあ、李書文はそれでよさそうだが😅
大半の人間は「それはちょっと…」と思うであろう。

少し前に
「『できる』と『強い』と『勝つ』はそれぞれ異なる」
と書いたが、これが
「『勝つ』とは何か」
の難しさである。

自分の行為の結果、自分自身が「こんなはずじゃなかった…」と後悔するようでは、その人生は「負け」と言わざるを得ない。
こんな負け方をするために武術を学ぶわけではあるまい。

自らの行為の行く末まで見通すところまでが武術である、と、私としては考えている。

ちなみに獅呑手とはどのような技法かということだが、車氏形意拳を学ぶ方々には大変失礼な言い方になるかもしれないが、私の見るところ、これは概ね八卦掌である。

形意拳と八卦掌をしっかり修行すれば、布学寛の要求水準に達することは可能と考える。
私も高い理想を持って修行を続ける所存だ。

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