「古武術ボウリング」…ありかも…!?
次男と親子ボウリング大会に出るため、練習・本番と付き合ったのだが…。
「古武術ボウリング」
あるかもしれんぞこれは…。
不用力。
型の重要性。
道具との関係性、対象との関係性。
「中指・薬指」と「親指」による掴み。
これは誰が見出したのか。
まさにこれだ、という掴み方である。
私が高齢者サロンなどで指導する際は、木刀などの道具を用いることが多い。
こういう「具体的対象物」がないと、初・中級者は「自他の関係性から身体を観る」というところにたどり着かない可能性が高い。
この際使用する「具体的対象物」は、できるだけ具体的に必要性を感じさせるものが望ましい。
中国武術指導の問題点の一旦はここにある。
まず、多くの人が徒手しかやらないこと。
「武術の眼」が育っている人ならそれでもいいが、大半の人は、虚空に突き蹴りをやっても関係性を見出すことができない。
そして武器を使う際でも、多くの場合、表演用の使い物にならない武器で練習していること。
日本の武器だと、例えば刃を落とした居合刀であっても作りがしっかりしており、武器としての説得力がある。
木刀ももちろん武器として十分使える。
しかし現代の中国武術の剣・刀は表演用に特化したものばかりで、刃があるなしの問題以前に、ペラペラでまったく使えない。
棍や槍は使えるが。
「その道具は何をすることを要求している道具なのか」
ということを見据える「作り手の意志」は、道具の出来に如実に反映され、そして道具の使い手に明瞭に語りかけてくる。
現代の中国剣・刀の「意志」は明確である。
「ヒュッと風がなって、キメどころでパキッと音が鳴るとカッコいいでしょ?」
ハワイアン八卦掌のレイモンド・カーブリド先生が、手本を見せるために一旦中国剣を手に取ったものの、すぐに首を捻って別の剣に換えたという話を以前書いたが、レイモンド先生もおそらく、中国剣を手に取った瞬間に「作り手の意志」を感じ、「これは違う」と即断したのではないだろうか。
話を戻すが、「ボウリングの球」の意志もまた明確である。
「ピンを10本倒す!」
目的と設計がきちんと揃っている。
そして、ズシッと重い。
腕力だけでは続かないようになっており、「武術の眼」を使うことが自ずと要求されるつくりになっている。
さらに、実際にピンを狙って投球し倒すというToDoがはっきりしているため、狙いの精度を上げるという武術ではおざなりになりやすい稽古になるし、試し合いもすぐにできる良さがある。
弓道や手裏剣術の稽古に近いものがあるが、これらよりも、やれる場所がたくさんあるというのもメリットだ。
さらに、球技の中では少数派だが「下手投げ」である点もよい。
腰で投げることができるため、下手投げのほうが身体に沿いやすい。
このため、女性や高齢者でもきちんとフォームを磨けば重い球を扱える。
ボウリングの投球フォームが、韓氏意拳の「川掌」とかなり共通している点も指摘しておく。
こうした武術的視点に基づく「古武術ボウリング」はありなのではないか?
と、次男とボウリングをやっていて感じたところである😊
説得力を持たせるためには、スペアを確実に取れるくらいにならないといけないな。
練習あるのみ。
…練習すること多すぎる説😅
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