身体ルネッサンス
下駄はすごい。
着物はすごい。
江戸東京博物館に行けば、天秤棒を担いだり、纏を持ったりできます。
この纏の重さは15kgあります。
火事の現場に真っ先に駆けつけなければならないのに、なんでこんな重いものを?
と思うのは現代人の感性。
江戸人にとっては「これくらいは当たり前」なのです。
電気もガスも水道もない。
何をやるにも身体を使うしかない。
だから自ずと身体性が磨かれる、というより、この身体性が当たり前になります。
当たり前だから、昔の人はそれをいちいち説明しないまま去りました。
だから、現代人にはわからなくなっています。
光岡英稔先生がしばしば語る「米俵の重さ」の話。
米俵の重さが「60kg」と決まっているのは、「この重さなら、成人であれば男女誰でも持てるから」と文献に残されているとのこと。
こちらは、今年の元旦の写真。
荒川河川敷にて、黒紋付袴で初日の出を見ました。
川の土手の吹きさらし。気温はおそらく2〜3度です^^
「着物は寒くないの?」とよく聞かれますが、これが驚くほど寒くないのです。
おそらく「生肌」がちゃんと働いているのだろうと思います。
内股の生肌が擦れる感覚は、現代の男性がまず感じることのないものです。
(なお、内股の生肌が擦れるためには、ちゃんと褌にしなくてはなりません)
「餅つき」をやると、昔の人の身体性が垣間見えます。
近所でやる餅つきに、少年野球のコーチや保護者が来てくれます。
野球で鳴らしているから体力に自信があるのですが、餅つきの経験のない人は、まず20回つく前にバテます。
その一方で、慣れている高齢の方がヒョイヒョイとついてしまいます。
「腕力でやるのではない」ということを理解しなくてはならないのです。
現代は産業社会から情報社会へ。
その情報すら、自分で扱わなくてよくなる時代も見えてきました。
しかし、我々人間は間違いなく「身体」をベースに生きており、身体を通じた「経験」なくしては生きていけないのです。
この点を、今の混迷の時代にもう一度思い出さなくてはならない。
「身体ルネッサンス」が必要だと、私は強く思っています。