学びを奪うファシリテーション
■初めに
季節は3月末。
たくさんの出会いと別れがある時期です。
最近は、新しい出会いを増やしていくためには、+の出会いを増やすだけでなく、-要素の別れを増やすということが大事だと思っています。
この関係は今の自分に必要なの?と自分自身に問いかけたとき、心からyesと言えないものは今の自分に実はあんまり必要なかったりします。
その関係とお別れを告げると、新たな時間が増え、新たな出会いがあったりするんですよね〜。
■学びを奪うファシリテーション
さてさて
あるファシリテーションの研修に参加した時のこと。
参加者は遊びのことで楽しんだり、葛藤したりしました。
そこでファシリテーターが
「ここではこんな〇〇が気付けるよね〜」と意気揚々と述べていました。
あー、この人にはきっとこの遊びにはこの学びがあるという
正解や学びの規定がある
んだなーとしみじみしていました。
これがなぜ問題か?
これを見ている指導者の方々もぜひちょっと考えてほしいと思います。
僕たちファシリテーターはその言葉の意味から、
学びの促進者であり、教育者ではありません。
あくまで、参加者の個々の体験からの学びを大切にするので、
遊びから「何を学ぶか?」は本来自由なはずです。
ファシリテーターが持っている「こんな学びがあるよね」はただのそのファシリテーターからの視点です。体験からは多様な学びがあります。
■全教育者へ
さらに思うのは、この学びの促進者というのは何もファシリテーターだけに必要な要素ではありません。
今後こどもたちは予測不可能な時代を担っていきます。
ファシリテーターにもそれは予想できません。
だからこそ、次世代の子たちが何を学び、何を作りだすか?が重要になっていきます。
全教育者はこの学びを奪わないということが必要な視点だと思います。。。
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