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勝手に「男の身体論」


■男性は力が強い


最近、DVや父親の性暴力のニュースを見て感じたこと。

そもそもなぜ男性って力が強いのだろうか?
比較的女性より力を持って生まれてきているのには何かしら理由があるのかなあと。

今回はその理由をお話していきたいと想っています。

子どもは力が弱い。生まれたばかりの乳児は自分で歩くことすらできない。だから助けを必要とする。


その子どもを本能的に守ろうとするのが女性。よくホラーもののテレビなどでも、

「私が死んでもこの子だけは助けて!」と母は叫ぶ。

でもそのセリフを言うのは決まって女性(母親)の方です。

今回はそれが性差別(男性>女性)だと言いたい訳ではなく、なんとなく、本能的に女性の方が子を自己犠牲的に守ろうとするという話。

つまり母は、そういった愛情とか母性本能がものすごく備わっています。

でも、母親は外部からの敵に弱い。子を守る力はものすごくあるけど、自分の身体を保護する力が弱い。

だから、男性は母を守らなければいけない。自己犠牲をしがちな母親を守らなければいけない。それが男性の役割の一つだと感じます。

子は母に守られ、母は父に守られる。

では父は誰に守られるのでしょうか。誰にも守られないのです。原理的に男性は誰からも守られないのです。

それゆえに自分の身を自分で守らないゆえに、男性の身体は強い。


■『武道論』(内田樹)

僕は道場では具体的に投げたり、倒したり、関節を極めたりという技術を教えているわけですけれども、それはそのような技術を活用してほしいからではありません。「そういう技を一生に一度も使わずに済むように」技を教えている。そこに武道の逆説があると僕は考えています。
(中略)
その過程で身につけた一人ひとりの「生きるための知恵と力」は日々の生活のうちでそれなりの「よきこと」をもたらしてくれたはずだからです。それは仕事の成果とかたちをとることもあるでしょうし、周囲のの人たちとのこまやかな交流という形を取ることもあるでしょうし、危機的状況を生き延びるというかたちをとることもあるでしょう。

(内田樹、『武道論』、河出書房新社、2021年、2頁)

僕はこの内田先生のお話に真意があると思います。
男性が武道をしたり自分の身体性を高めるorもともと高いのは、自分自身のことは自分で守らなければならない。だから自分の身体性を高めておく。
身体性が高いと外部の敵は寄ってこない。
「あの生命体は強い」と敵は判断します。

そのため身体性は必ず、「そういう技を一生に一度も使わずに済むように」所在するはずです。

身体性の高さは決してそれを振りかざすためにあるものではない。

■終わりに(育休に関して)

最近は育児ブームで父母両方で育児をしようという機運が高まっています。
もちろん僕はそれに賛成です。子は父母両方から生まれてきています。だから一緒に育てないといけない。それは絶対。

でもそれだけじゃ不十分で男性と女性それぞれに身体性の役割があると想っています。
男性(父)は子を育てるというより女性(母)を守る、自分の身は自分で守るという役割の具合が多い。僕はそう感じます。

自己犠牲じかちな女性を守るため、自分の身を守るために男性は身体性を高めておく。
つまり、育休をした場合、夫と妻が”同じレベルで子育てをする”というよりは、妻に趣味の時間を作ってあげるだとか、身体的に負担がかかることを夫がするようなものです。

結婚していない若造のでしゃばった意見ですが、僕はそう感じています。


ではまた。

p.s これを読んでくださった方で、「じゃあ男は実際どんなことをするの?」という質問がありました。

ぜひ皆さんも考えてみてくださいね。

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