ニュージーランド周遊
11/28、編集者とふたりで成田からニュージーランドのオークランドに飛んだ。
記念すべき人生初のニュージーランドである。
オークランドからレンタカーを借り、日帰りでロトルアへ。翌日は国内線で南島のクイーンズタウンに向かい、最後はクライストチャーチという、1週間の「ザ・ニュージーランド」ツアーであった。
まずは幸先がよくなかった。
オークランドに到着する少し前にラグビーW杯の決勝が始まった。
当然、ほとんどのシートモニターに中継が映し出される。
前半が終わったところで6対12。ニュージーランドが6点のビハインド。
嫌なムードが漂い、となりに座るニュージーランド人夫婦は天を仰いている。
ほどなくして着陸体制に入り、モニターはフライトインフォメーションに切り替わった。
そして、バゲッジクレームで荷物を待っているあたりでニュージーランドの負けが決まってしまった。
イミグレーション、両替、レンタカー。関わる人々の機嫌が明らかに悪い。
とばっちりもいいとこだが、これも思い出になるだろう。
「あのとき、あの場所にいた」というやつである。
果たして。
5月の台湾もそうだったが、とにかく日本人がいない。
中国人と韓国人はいたるところで目にするのに、どの町でも日本語がまったく聞こえてこない。いつぞやは各国の観光地へ行けば「コニチハ」と声をかけられたものだが、いまでは完全に「ニーハオ」である。
ニュージーランド最大の町オークランドの人口は140万人。東京の10分の1。最大の町とはいえ、静かで交通量も少ない。町のシンボル「スカイ・タワー」の上から四方を見下ろすと、数少ないビルを除くと、ほとんどが平屋の一戸建てである。同じ最大の町とはいえ、東京スカイツリーからの景色とは別世界である。
オークランドの東南230km、車で3時間の町、ロトルア。
ロトルア市内に入ると、ほのかに硫黄臭が漂ってくる。
地熱活動が活発な温泉地で、あちこちで湯気がのぼっていた。
中心地のクイラウ公園に整備された足湯があり、思わず腰を下ろしたのだが、思わず目を閉じるほどに心地よかった。まさかニュージーランドで足湯に浸かるとは思わなかったが、おすすめである。
3日目、南島のクイーンズタウンへ。
ワカティプ湖を擁するこの町は、ニュージーランドの主要な観光地である。特に何があるわけでもないが、湖畔の町特有の長閑さがあり、夏に向かうこのシーズンは特に快適だった。僕のイメージするニュージーランドがクイーンズタウンだった。
旅の締めはクライストチャーチ。
エイボン川のパンティング(伝統ある船遊び)がこの旅のハイライトだったと言える。エンジンはなく棹で川底を突いて推進力を得るゆえ、ものすごく静かにパントが進んでいく。河畔には花が咲き、水鳥が飛来する。これこそがイギリスの優雅な遊戯である。実に贅沢な時間を過ごした。ただ、「缶ビールがあれば完璧」という俗物根性がなかったわけではない。
クライストチャーといえば、2011年2月に起きたカンタベリー地震は記憶に新しい。
倒壊したクライストチャーチ大聖堂はいまだ再建の途中だった。
液状化を含む被害家屋は数万棟に及んだこの地震で、我々日本人にとって忘れられないのがCITVビルの崩壊だろう。
1988年竣工という、そう古くない鉄筋建築が跡形もなく崩れ落ちるという「人災」ともとれかねない大被害である。このビルの4階には語学学校が入っており、アジア人を中心とする各国の留学生が在籍していた。
地震による死者185人のうち、115人はこのビル内にいた犠牲者である。
そのうちの28人が日本人だった。
僕にも留学経験がある。
志高く海を渡った若者と、その家族のことを考えると胸が熱くなる。
ぼんやりとイメージしていたニュージーランドがそこにあったというのが感想である。悪く言えばそれ以上でも以下でもないし、良く言えば期待どおり。
いただいた料理はロンドンと同じ水準で、それも想像を超えることはなかったが、やはりイギリス文化圏で食べるフィッシュ&チップスとビールは応えようのないうまさだった。
一気に駆け抜けたニュージーランドの北と南。
結局、晴れたのはクイーンズランドの1日だけだった。
成田到着の30分前、赤く染まる雲海から富士山が顔を出していた。