夢路いとし・喜味こいし「自分史誕生」
こいし:奈良県宇陀郡御杖村へ参りまして
いとし:この御杖村で上方演芸会があると知った時、僕は15歳の頃のことを思い出しましてね
こいし:と言うと、15歳の頃、この御杖村に来たことあるんやな?
いとし:そうや無いねん
こいし:ほななんで、御杖村で15歳の頃のことを思い出したんや?
いとし:15歳の頃の初恋の女の子の名前がミツエ言いましてな
こいし:・・・只それだけかい!
いとし:偶然はそれだけと違うよ
こいし:と言うと?
いとし:ここ、宇陀郡でしょ?
こいし:そう、宇陀郡御杖村や
いとし:その子、宇陀ミツエと言うたんや
こいし:ホー、それなら思い出すわな
いとし:偶然はそれだけと違うよ。ここは奈良県でしょ?
こいし:奈良県や
いとし:その子、奈良漬けの大好きな子やってね
こいし:知らんわ!
いとし:しかし、このごろ孫たちによく聞かれましてね
こいし:どんなことを聞かれるの?
いとし:「おじいちゃんの若い頃て、どんなおじいちゃんやったの?」て
こいし:それは私もたまに聞かれるね。で、君はどう答えてるの?
いとし:バカモノー!失礼な聞き方をするんじゃない
こいし:なんで怒らなあかんの。どこが失礼やねん
いとし:若い頃どんなおじいちゃんやったやと・・・言うとくけど、これでもわしは、若い頃はおじいちゃんと違ごて青年やったんじゃ
こいし:・・・君の言うてる意味もわかるけど、「若い頃はどんなおじいちゃん?」というのは、言葉のアヤや
いとし:なんやて?
こいし:言葉のアヤや・・・アヤ!
いとし:君も失礼と違うか?
こいし:何がや?
いとし:アヤ!って何やそれ。うちの嫁はんの名前を呼び捨てにしとるやないか。アヤさんと言え
こいし:・・・君の嫁はんとは関係の無いアヤやねん!
いとし:僕がどんな人生を歩んできたかを孫たちに知ってもらう為に、今、自分史を書いてましてね
こいし:自分史?
いとし:わかるか自分史て、・・・毎日朝と夕方に配達される、これぐらいの紙。あれは自分史と違うよ、あれは新聞紙やで
こいし:わかっとるわい!自分史言うたら、自叙伝というか、自分の歴史の総まとめやろ
いとし:それが本になった時のタイトルもすでについてるんですよ
こいし:ホー、君の自分史のタイトルは?
いとし:いとしのジュリー
こいし:・・・いとしと言うのは、君の名前やからわかるけど、そのジュリーというのは何や?
いとし:ジュリーと違ごて10里。これまでの人生を、10里の道のりに例えてるわけや
こいし:それでいとしの10里かい
いとし:最初のところは、この僕がお産まれあそばされた頃のことを書いてましてね。これが原稿や(と、原稿用紙を取り出す)
こいし:お産まれあそばされたて・・・君はお公家さんやないねん
いとし:しゃあないやろ。産まれた後、遊んだことを書いたんやから
こいし:どういう風に書いたんか、内容を詳しく聞きたいね
いとし:出だしの文字なんか、川端康成の雪国ばりですよ
こいし:どんな出だしや
いとし:(原稿用紙を読む)トンネルを抜けると、そこは産婦人科の分娩室であった
こいし:・・・ちょっと待て。君はそんなとこで産まれてへんやろ。産婆さんを呼んで、我が家で産まれたんやろ
いとし:あっ、そうか・・・トンネルを抜けると、そこは奥の六畳の間であった。・・・これに直しますわ
こいし:それならええねん。自分史に嘘はいかんぞ
いとし:私は産まれながらにして、人を笑わすサービス精神があったようだ
こいし:と言うと?
いとし:普通、赤ちゃんはオギャーオギャーと泣いて産まれるものだが、私は、メェーメェーと鳴いて産まれてやった
こいし:ほんまかいな!
いとし:メェーメェーという私の鳴き声に、産婆さんはたいそう喜んでくれた
こいし:それはどうしてや?
いとし:産婆さんの名前が八木さんだったのである
こいし:ほんまの話かい!
いとし:この世に産まれ出たものの、お母さんの乳の出が悪かった為に、私はお父さんの乳で育てられた
こいし:なんでやねん!お父さんから乳が出るわけないやろが
いとし:乳が出えへんのに、なんでお父さんのことをチチて言うの?
こいし:知るかいそんなこと!とにかく、お父さんの乳では育てられへんねん
いとし:つまり、お父さんが作ってくれたミルクで育てられたんや
こいし:なるほど、そういう意味かい
いとし:ミルクというのは、牛の乳である。それ以来私は、メェーメェーと鳴くのをやめて、モォーモォーと鳴くようになった
こいし:・・・そんなアホみたいなこと書いてたら、読んだ孫たちにバカにされてしまうぞ
いとし:私が3歳になった時である。私の弟が誕生した
こいし:その弟というのは、私のことやな
いとし:お母さんが野良仕事の途中、田んぼのあぜ道で産み落としたのであった
こいし:田んぼのあぜ道て!・・・私はカエルと一緒かい
いとし:カエルと一緒かいて・・・その言い方はちょっとカエルに失礼やで
こいし:カエルに失礼!?
いとし:カエルは池に卵を産み落とすねん。カエルと一緒にして欲しかったら、君は池に産み落としてもらわないかんねん
こいし:死んでしまうわ!
いとし:弟も生まれながらにして、人を笑わす才能はやはり有った
こいし:ホー、それはどうしてわかったいうの?
いとし:弟は、ケロケログワッグワッ、ケロケログワッグワッ、と鳴いて産まれてきたのだ
こいし:やっぱりカエルやないか!
いとし:そして数年後、私は弟とコンビを組んで、少年漫才師として、漫才の舞台に立ったのである
こいし:我々の少年漫才コンビの初舞台は、私が〇〇歳で君が〇〇歳の時でした
いとし:当時の芸名は、弟が荒川芳坊。そして私が長谷川一夫であった
こいし:なんでやねん!君の芸名は荒川芳博やったやないか
いとし:少年漫才の頃、私は秀才と言われ、そして弟は神童と呼ばれたのである
こいし:ここではっきり言うとくけど、神童というのは、秀才よりもずっと上やで、神の童やからね
いとし:なぜ神童と呼ばれたかというと、弟は舞台が終わると、いつも言っていたからである「あーしんど。あーしんど」
こいし:やかましいわ!君の自分史なら、この私のことなんか登場さすな
いとし:君を登場させな、この僕が引き立たへんでしょ
こいし:私は君の引き立て役かいな
いとし:そして数年後、我々はコンビ名を変えることになった。弟が喜味こいし。私が石原裕次郎である
こいし:夢路いとしや!・・・君のどこが石原裕次郎やねん
いとし:私の夢路いとしという芸名は、当時、宝塚の美人スターの月丘夢路が大好きだった為につけたのである
こいし:これホンマの話ですねん。軽薄な性格の兄貴でっしゃろ
いとし:弟の喜味こいしは、いつも人から気味悪がられて、小石を投げられていた為に付けられたのである
こいし:なんでやねん!私の喜味こいしは、当時流行した「君恋し」という歌からとってつけたんや
いとし:軽薄でっしゃろ
こいし:君よりましじゃ!
いとし:私が25歳の時である。ある美人コンテストの審査員を、コンビで引き受けたことがあった
こいし:美人コンテスト・・・どんなコンテストの審査員を引き受けた?
いとし:それは、ミスチューリップ嬢という美人コンテストであった
こいし:ミスチューリップ嬢
いとし:そのコンテストの優勝者は、大変な美女であった。その美女が、後の私の妻となったのである
こいし:今の嫁はんからは、とても、元美人コンテストの優勝者やとは想像できんけどな
いとし:なぜ私は今の妻にプロポーズしたのか。それは、チューリップ嬢であった為、キュウコンせずにはいられなかったのだ
こいし:・・・そんなしょうもないシャレまで書くな。孫に笑われるぞ
いとし:私に負けじと、弟もミスコンテストの優勝者を妻にした
こいし:そら私かて、兄貴に負けてられへんという気持ちがあるからね
いとし:そのコンテストは、ミスイノシシ嬢コンテストであった
こいし:待てー!・・・あのな、どこの世界に、ミスイノシシ嬢コンテストなんてもんがあるねん
いとし:イノシシ料理を名物にしてる観光地やったら、ミスイノシシ嬢コンテストがあってもおかしないのと違うか
こいし:例えあったとしても、そんなコンテストに自分から応募する嬢がおるわけないやろ
いとし:君の嫁はんは自分から応募したん違うがな。みんながここぞって推薦したから出たんやないか
こいし:やかましいわ!さっきから言うてるやろ。その自分史に、私や私の嫁はんまで出すなて
いとし:さっきから言うてるやろ。出さな僕や僕の嫁はんが引き立たんて
こいし:勝手にせい!
いとし:(原稿をポケットにしまい)
ここまでは書けたんですけど、この後、どういうことを書いたらええのか思案中でして
こいし:どういうことて・・・自分史なんやから、自分が生きてきたまま、やってきたままのことを書いたらええだけやないか
いとし:けど、それを読んで、孫たちは僕を尊敬してくれるやろか
こいし:尊敬するもせんも、ありのままを書くしかないやろ
いとし:ほな、君にそそのかされて、墓に供えてあったまんじゅうを盗んで食べたことも書け言うの?
こいし:・・・書かなしょうがないやろ。自分史なんやから
いとし:君にそそのかされて、電車の中でOLのお尻さわったことも書けて言うんか?
こいし:私がいつそそのかした!
いとし:それに君とこの嫁はんがイモ畑を荒らしてるのを注意したら、向かってきて、牙で尻刺されたことも書け言うんか?
こいし:うちの嫁はんはイノシシや無いちゅうねん!・・・もうわしゃ怒ったぞ。言うとくけど、今後一切、君の自分史の中へ、私と私の嫁はんを登場させることは禁止。もし登場させたら、君とは絶交じゃ
いとし:孫から尊敬されるような自分史を書くには、何を描くのが一番いいのか迷うね
こいし:それはやっぱり、漫才で賞をもろたことを書くのが一番違うか
いとし:なるほど、そう言えば僕、漫才でノーベル賞もろてたんや
こいし:もらえるかい!もろた賞は、漫才大賞とかお笑い大賞とか、芸術祭の賞なんかや
いとし:その賞もろたことを書きますわ。・・・君、心配せんでもええで。君とか嫁はんのことは一切書かへんからな。賞は僕一人でもろたと書くからな
こいし:・・・勝手なやっちゃやなぁ
いとし:君と嫁はんのことは、一切登場させたらいかんのやろ
こいし:好きなようにせい
いとし:あとどういうことを書けば、孫から尊敬されるやろ?
こいし:人にほめられるようなことをした経験はないんかい。例えば、人命救助をしたとか
いとし:そう言えば、僕、人命救助をしてますわ
こいし:ほな、その人命救助のことを書けば、孫から尊敬されるがな
いとし:あれは28歳の夏であった。池の底から私は尊い人命を救いあげたのだ
こいし:そんな経験が君にあったとは知らなんだねえ
いとし:その人たちが乗ったものが池の底に沈んだ為に、私は救い上げたのだが、有名人が沢山乗っていた
こいし:ホー、どういう有名人が乗っていたんや?
いとし:徳川家康、福沢諭吉、芥川龍之介・・・
こいし:・・・あのな、君が池の底から救い上げたいうのは何やそれ?
いとし:人名辞典ですよ・・・これがほんまの人命救助やないか
こいし:もうええわ!