「生きている」=「大丈夫である」ということ
たとえちょっとしたものであっても、
こだわりがあったり理想ががあったりすると、
「○○たるものこうあるべき!」
みたいなものがついつい頭の中に巣くってしまう。
その基準に乗らなければ、
「こんなことではダメだなぁ。」
なんてネガティブな想いに支配されてしまうこともある。
まぁ、こだわりや理想が悪いわけではなく、
そういったものとどう付き合うのか・・・ということなのだけども。
そんなことにも気づかせてくれるのが、我が娘である。
一時から続いているごっこ遊びが好きな娘。
今度はお医者さんに憧れがあるそうな。
そんなわけで聴診器。
「では、おなかをだしてくださいーー」
「わかりました。これでいいですか?」
・・・(聴診器でお腹の音をきく)
「おとがきこえてますねー」
「ど、どうですか?」
「だいじょうぶです、いきてます!(ニコッ)」
「あ、ありがとうございます。」
今生きていることを当たり前だと思っていたら、ずっこけるような診断結果ではあるのだけど、
「生きている」=「だいじょうぶ」
ということが、場合によっては力強い後押しになる時がある。
そう、生きているなら大丈夫なのだ。