撮影のための「直観の磨き方」
自然写真を撮影する際に、とくに初めて訪れる場所で良い写真を撮るときに必要になる直観力。直観が磨かれてゆくと、自分の撮りたいシーンを瞬時に掴むことができるようになります。
すこし背景をお話します。僕は12年間アラスカの原生的な自然をテーマに自然写真を撮り続けています。アラスカは広大で、行く先々で自然の諸相が違うことに気が付きます。「アラスカ」と一言でいっても、代表的なひとつの撮影地で、決してまとめられないことは、渡米してすぐに気が付きました。そして、時間的資金的な理由から、初めて訪れる場所であったとしても、できる限り良い写真を撮る方法を考え続けました。(いまでも改善中です)。そして特に、どのように撮影に臨むべきかを考え続けてきました。
この記事では、幾度となく繰り返される撮影の、準備の段階において、機材や日程の準備だけにとどまらず、心と精神を整え(Tim Laman の言葉ですが、プレビジュアライゼーションといいます)、自然撮影を成功に収めるための方法・アイデアを扱います。
記事のベースとなっている考え方は、僕の考えではありません。ぼくが吸収したさまざまな書物からです。
なぜ日本のビジネス新書!?
そして、田坂広志著「直観を磨く 深く考える七つの技法」がとてもわかりやすく、たぶん一般的に言って、頭にす入ってきやすいため、これを礎に、撮影に応用した形でまとめていこうと思います。
本書はビジネス書ですが、「即時に直観力を発揮しればならない状況」というのは、忙しいオフィスや会議での話ばかりでなく、屋外で本気で自然写真を撮影しようという人にも十分に当てはまることが、本記事を読んで頂くことでわかっていただけるでしょう。
まず、直観とは何でしょう。直観と直感はちがいます。
▶直観:知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。(ウィキペディア)
▶直感:理性を働かせるより先に、五感あるいは第六感が感じ取ったこと
シンプルにすると、直観は「ひらめき」、直感は「感じ取ったまま」
アイデアや創造性は、感じ取ったままの直感では生まれ得ないもので、あらゆる知識や経験というフィルターを通過して生まれた「ひらめき」です。そして、これこそが写真のイメージにつながるものです。
また、直観は論理的思考ともちがいます。言うなれば、システムが違うようです。直観は頭のなか全体を駆け巡った結果、どちらかというと大脳辺縁系(本能に関わる脳のフィールド)が抽出してくるものであって、対して論理的な思考は、大脳新皮質(理性に関わる脳のフィールド)が抽出するものであると考えられています。したがって、直観で得られたアイデアは初め、言葉に出来ないことが多いです。
ある程度の区分けをしたところで、
さて、ここからは礎の書「直観を磨く 深く考える七つの技法」に従い、7つにまとめます。
ひとつめは、シーンを多角的に捉える。
いつも同じような写真を撮ってしまうという人は、いちど、風景や動植物がいるシーンのときに、なぜ撮影するのかを「分解してみる」必要があります。たとえば、いつも風景の中から主役となる花や動物を見つけては、それを中心にした写真だけを撮ってしまう、といった原因と結果に分解します。そこから、花にフォーカスをあわせつつ、風景全体のカットもおさえてみるという発展の方法です。これは初歩過程ですが、さつえいの幅を広げるために、中級以上の方もいまいちど荒削りしてみるのも良いでしょう。
2つ目は、二項対立で自然を見ない。
とくに男性に多いですが、自身の価値観に従い、良いものと悪いものを、極端に見分けて撮る人は多いです。自然にはそもそも「美と醜」はありません。ときにはわかりやすい表現として、「きれいときたない」を自然の中で分けるのもアリだと思いますが、自然はよく見ると、そう簡単に割り切れるものではないことがわかります。とくに直観を磨く際には、広い視野が必要になるようなので、この訓練をしているときだけでも、偏りをなくして世界を見てみるということを意識します。
では、どう見ればよいか。
「正・反・合」で考える、ということが挙げられます。たとえば、先程の二項対立、「美と醜」。まずは、自然の美の所在(正)を探すように眺めます。そして、次に、比較対象(反)としての自然の醜の部分をとらえて、「ここではない」と決めてみましょう。そして最後に、この美しいと思って取り上げたところと、醜い自然の部分を、まとめて(合)、それでこそ自然だと言える場所はないだろうか、そこをピックアップしてみてください。
3つ目は、課題回帰という考え方です。
撮影の下準備に取り掛かると、地図を見て何をどう撮るのかいろいろ考えを巡らせると思います。これは撮影のひとつの醍醐味でもありますよね。ここで、撮りたいシーンの撮影の方法を考えるのではなく、「撮影するべき課題」を考えるということをします。つまり、そもそも論ですが、「自分はなぜこのシーンを撮りたいと思ったのか、あるいは訪問先の撮影地を選んだのか」という課題を設定し、それに回答をひとつ与えておきます。慣れてくると複数のアプローチが可能となると思います。
じつはこれこそが、娯楽の写真から表現の写真へと発展させる方法だと言えるでしょう。ここでの問題解決は、最新のカメラの機能に頼るのではなく、自分のアイデアに依る、ということですね。
4つ目は、水平で物事を考える。
個人的にはこれが一番、ひらめきに値する直観を磨ける方法なのではないかと思っています。
人はだれしもが専門的な知識を持っています。趣味でも仕事でも家事でも、10年以上続けていれば専門。逆にあらゆることを転々としていれば、実はすでに水平的な思考がしやすいということになります。水平で物事を考えるというのは、一つの分野でのなかでは思いつかないことを、分野を横断してみて組み合わせることで、得られる知恵やアイデアです。
僕個人の経験から言えば、生物学全般を専門として撮影をしていましたが、ある日、防犯(学問なのかはさておき…)について家で記事を読んでいるときに、犯人の通過を赤外線が反応 ⇒ アラームで知らせる機器がある ⇒ これを応用して、近場に設置、動物が通過したときにテントから出て即座に撮影に出る。というアイデアを思いつきました。
撮影のアンテナだけは立てた状態で、全く異なる分野の書物や講義や体験をしてみるというのは、無駄に思えるようでも、直観を磨く上では重要です。
5つ目は、体験から考えるようにすることです。
書物は直観を磨く上では、関わりの深い洞察力を身につけるにも役に立つので重要ですが、現場での実践的な体験とは分けて考える必要があるようです。それこそ、これまでになんども撮影されてきた方は、撮影現場で直感(ここでは直観ではありません)で気づくことは多くあると思います。「春に比べて、この地の夏は湿気が多い」とか「この裾野は、夏よりも秋のほうが通過する鳥が多い」といった比較や、「朝靄が出るパターンがみえてきた」とか「笹の倒れ方から、ここはイノシシがさっき通った」とかの洞察が得られるようになる。このような智慧は、撮影では絶大な力を発揮します。具体的に何かと言われると、なかなか言葉で説明できない勘のようなこの洞察。これを体験知といいますが、これを日記のようにメモしておくことが大切です。僕は撮影日記をフィールドノートに記す習慣があります。
このメタノートともいえる感じたこと、体験知のメモは、後で見返すことで、いろんなものが結びつき、着想が生まれやすい状態にできます。いわば、「ひらめくための次の準備」も撮影現場で並行して行う。これが「体験から考える」ということです。
6つ目は、他者の視点で考えるということです。
これは撮影に応用するのは難しいのですが、ぼくは自分の中に別の人の視点を設けるための訓練を、定期的に作品展を見に行くことで行っています。このとき、「自分ならどう撮っていただろう」ということを考えてでた結果と、目の前にある作品と作品群で表現していること、作者の目的を考えます。自然写真を見るのが多いですが、水平的に物事を見ることも重要なので、別ジャンルの写真展や、絵画展、時には彫刻、漆器なども見ます。最近は動画も撮影するので、映画もよく見るようにしています。
この比較視点は大変貴重で、自分の頭では思いもつかなかったような視点に気が付きます。そこで、悪く言えば、そのひとのパースペクティブを盗むのです。
7つ目は、自己対話をして磨きをかける
自分と対話をすることで、観念が言葉になり、より明確に事象を理解できるようになります。たとえば、「そういえば、桜って葉の前に花が咲くよな〜」という観念が浮かんだとします。桜の花は、葉をつける前に花を咲かせます。他の花は「ふつう」は葉っぱで太陽光を通じでエネルギーを作った後に、花を咲かせ受粉します。では桜はエネルギーをどこに蓄えているのだろうか。このように、どんどん言葉を口にしていきます。
具体的にどのようにするかといえば、先生と生徒の一人二役に分けるのがやりやすいでしょう。先生の自分が、撮影で経験したこと、技術でも現場でのコツでも構図の話でも構いません。それを、生徒役の自分に教えるのです。ぼくはこれを録音アプリを使っておこなっています。
この自己対話は二重の意味で効果があります。
ひとつは、自分のなかに、教えられるほど賢い自分がいることを認識します。このことは自信にも繋がりますが、賢い立場でなければならないので、話す内容に精査をかける圧力が自然と加わります。
アラスカで自然ガイドも行っている僕は、ここで多くの苦労を経験してきました。間違ったことを伝えるわけにはいかないという圧力です。
もうひとつは、教えることによる反復学習を、自己対話をすることで自動的に行うことになるということです。つまり教えることで二度学ぶことになります。
より深く反復的に観念(自然現象や撮影の際のテクニック、構図など気づいたことなら何でも構いません)を言葉にしていくことで、直観が磨かれます。
すべてをまとめると、つまり、より広い視点から深く掘り下げて物事をとらえていくことが、「直観力」を身につけることに繋がり、繰り返して習慣にしていくことで磨きをかけていけるということです。
どの書物にも書かれていることですが、これを行うに大前提となることがあります。
それは、あなたの中の潜在能力を信じる。ということです。
人間誰もが持つ能力には、想像を超えた素晴らしい才能と可能性が眠っている。これは事実です。そしてそれを信じて開放することから、「直観磨き」は始まります。ちなみに僕はそれを開放して自由になり、アラスカへ渡りました。
そのためには、自分を限定しないということ。まずは、これを信じて行えるかどうかが分かれ道。簡単に言えば、信じてしまえば良いだけなのですが。
今回の記事は、すこし横道にそれる内容でしたが、撮影には実は欠かせないアイデアを出すための下準備、なんですよね。
中島たかし
https://www.nakashimaphotography.com