釜石のラグビー史跡と釜石ラグビー創成期(1)
RUGBY-MAD CITY, Kamaishi のなかぴーですがお🐯
ここ最近、『廃墟巡り』という言葉をよく聞くようになりましたがお。
今は閉鎖となっている古い遊園地や、ホテル、はたまた鉄道の廃線跡をたずねるのも同じようなことかもしれません。
長崎の軍艦島は世界遺産にもなってますよねがお。
軍艦島は世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産のひとつです。釜石の「橋野鉄鉱山」もこの世界文化遺産の構成資産のひとつなんですがお🐯
この橋野鉄鉱山の近く、釜石の和山高原にあるラグビー史跡(カバー写真*)のご紹介ですがお。
*ホテルマルエさんのinstagram @hotelmarue からお借りしておりますがお🐯
釜石にラグビー場はいくつあるか?
さて、その前に。これが釜石のラグビー史跡ですがお🔥だけだとすぐに話が尽きてしまうので(笑)、釜石市内にある(あった)ラグビー場をひとつひとつ解説させてもらいますがお。
さて、なかぴーの手元にこのような資料があるのですがお。これをみると・・・。
1.小佐野球場
「こさ やきゅうじょう」ではありません。
「こさの きゅうじょう」です。
釜石ラグビー部(当時は富士鉄釜石ラグビー同好部)の記念すべき初試合は、昭和34(1959)年5月24日に小佐野球場で山田ラガーと対戦した試合!
同日には、つづいて釜石ラガーとも試合が行われていますがお。
初試合山田ラガーに勝つ(高橋純治)
昭和34年同好部としてスタートして初試合が小佐野特設グランドで行われた。
即席チームながら、法大出のTBにトライを許しただけで堂々たるオープンでした。快速WTB佐々木(担)選手をフルに走らせ、9-3で圧勝した。
(釜石製鐵所ラグビー部10年史より)
小佐野球場はその名のとおり、野球をするためのところですがお。
「東北の暴れん坊」とも呼ばれた釜石野球部のホームグランドでした。まだ、松倉グランドは整備されておらず、まずはこの小佐野球場でラグビーの試合がおこなれたんですねがお。
ちなみに、「山田ラガー」に法政大学ラグビー部出身の方がいたのは少々びっくりですがお。そして、「釜石ラガー」というチームがあったということは、先に釜石でラグビーの試合が行われていた可能性があるのですが...。まあ、それはおいておきますがお(笑)
小佐野球場についてはこちらをどうぞですがお。山田久志さんの回想ですがお。
いまはこの小佐野球場はありません。
でも、スコアボード、その後ろのフェンス、さらにはバックネットの網目や支柱さえも見覚えがありますがお。脳みそって結構すごいですねがお。
2.昭和園グランド
翌年、昭和35(1960年)。釜石ラグビー部は正式な部となりましたがお。
3月13日に昭和園に宮古ラガーを迎えて試合を行っていますがお。
いまは釜石警察署が建っています。
昭和園についてはこちらをどうぞ。なかぴーもよくここで遊びました。
3.松倉グランド
昭和36(1961)年5月14日。立教大学を迎えて、松倉グランドで「招聘試合」がおこわれています。たぶん、これが松倉グランドのこけら落としだったのでしょう。
この時から今に至るまで、松倉グランドは釜石ラグビーの聖地でありつづけていますがお。
釜石ラグビー部のみなさんの汗と血と涙、そして笑い声が、松倉の山に、空に、土に、芝に、染み込んでいます。釜石ラグビー部、シーウェイブスだけではなく、釜石ラグビースクール、シーウェイブスJrのみんな。さらには釜石の高校でラグビーをしていたみんなみんなも、この松倉の地で🏉を追いかけました。
長くなりそうなので、「つづく」ですがお🐯
カバー写真の和山高原にある釜石ラグビー史跡にはいつたどり着くのか(笑)