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2014年13冊目「いかに生きるか」
2冊連続で田坂広志先生の本です。
11年3月11日の東日本震災後の日本を拓く7つの言葉というサブタイトルがついています。7つとは意味、共感、働く、企業、志、鎮魂、希望です。
それぞれの項目の概要を書いてみます。私自身、文章にすることで、色々なことを深く考えるきっかけになりました。
まず、意味。この震災は、日本が地震国であり、島国だから津波が起き、不幸にして1000年に一度のタイミングが11年3月11日であった。確かにそうかもしれない。科学的にはそうかもしれない。ただ、人生において不幸な出来事が与えられたとしても、その意味を深く見つめることで、出来事を正対して受け入れ、その状況から立ち上がり、前に向かって歩み始めることができます。
この大震災は日本人に、大切な事を教えるために起こったのではないか。我々は、日本はいつか経済的破綻に直面し、その破綻に直面した時にようやく大切な事に気づくのではないか?と感じていたのではないか。しかし、この感覚の中にすでに、甘い認識が潜んでいた。やって来たのは、経済的破綻ではなく、一瞬にして1万5千人を超える尊い命を失った空前の危機。復興に数十年かかる地震、津波そして原発の被害。この時期だからこそ、我々は問わなければいけない。この方々の命はなぜ、失われたのか。
次に、共感。震災直後に多くの人が被災地のために何かをしなければいけないと考え行動を起こした。それは同情や憐憫や気の毒という感情ではなく共感であった。共感とは目の前にいる人を自分の姿のように思えること。東日本大震災はこのことを教えてくれた。あの日、あの時、被災地にいたかどうかの偶然の違いで、自分もまた被災者になったのではないか。共感を胸に抱いたので、ボランティアに行ったり、義援金を募る行動など支援活動を行った。我々が忘れていた大切な事に気づいくきっかけになった。
それは次の言葉、働く。心ある多くの人がボランティアとして被災地に向かった。それは想像を絶する状態であった。しかし、その困難な活動に取り組んでいる時に心が満たされる瞬間があった。それは「有難う」の言葉。自分のささやかな力でも助けになっている。その時に思い出す「我々は、なぜ、働くのか」。この日本では昔から、働く(はたらく)とは、傍(はた)を楽(らく)にすること。自分以外の誰かを幸せにするということであると語り継がれてきた。英語のWORKが苦役という意味が含まれているのとは大きく違う。東日本震災を通じてたくさんの人たちが「はたらく」ことの意味を考え出している。
次は、その働く場である企業。過去数十年間企業活動の究極の目的は「利益の追求」であると言われていた。しかし、それは本当にそうなのだろうか?企業活動の究極の目的は「社会への貢献」であり。利益は社会貢献を続けて行くための手段ではないのだろうか。これは日本型経営として永く語り継がれてきた3つの言葉に象徴されている。
・企業は、本業を通じて社会に貢献する
・利益とは、社会に貢献したことの証である。
・企業が多くの利益を得たということは、その利益を使ってさらなる社会貢献をせよとの世の声である。
これらは日本が世界に誇るべき思想である。
つまり、日本企業は本業で社会貢献してきた。
しかし、ここ数十年、経営者は社員に対して、必死に働かないと生き残れない、サバイバルできない。それだけを伝えてきた。しかし、社員の一部は考えていた。我々が一生懸命働くのは、もっと素晴らしい何かのためではないのですか?
東日本大震災が我々が忘れていた大切な事に気付かせてくれた。
何のために企業はあるのか。それが次の言葉、志。傍楽(はたらく)の意味、そして企業が本業を通じて社会に貢献することを理解したとしても、それだけでは働きがいを味わうこともできないし、経営者は社会に貢献する企業を作ることもできない。それでは、何が必要なのか。それは、経営者と社員が、仕事の彼方に素晴らしいもの=志をともに見つめることである。それは、私がやりたいと言った野心やエゴなどと混同されるような短期の話ではない。自分が生きている時間だけでは実現できない高い志を一つにすることでそれは実現できる。
続いて、鎮魂。東日本大震災の痛苦な体験を経て、いま、多くの日本人が一つの志を抱き始めている。この大地震を契機として新たな日本を創造するのだと。その志を風化させないために、我々が深く問うべき問いがある。なぜ無数の尊い命が奪われたのか。それは、日本は生まれ変わらないといけない。その事を教えてくれたのではないか。そうだとすると我々が心に刻まないといけない言葉がある。それは鎮魂と弔い。この方々への鎮魂と弔いのため、これらの方々の尊い命を決して無にしないために、あの日を境に日本は変わるという覚悟を定めるべきであろう。
最後は、希望。被災地復興に取り組む人々が口にする言葉がある。それは「希望」。希望とは不幸なことや悪しきことが起こった。それでも、その逆境や困難に挫けることなく歩み続けるならば、いつか、必ず、幸せや良きものがやってくる。そのことを信じられること。それが希望。しかし、希望には1つの落とし穴がある。それは、未来を願うあまり、過去を忘れようとしてしまうこと。過去を深く省みる、そしてなすべき改革をなす。これ抜きに、この国のリーダが希望を語るということは、希望の名を借りた「無責任な楽観」にほかならない。
どのように生きるも、どのように働くも、一人ひとりの選択。そして我々の人生は100年生きたとしても一瞬。その一瞬の人生において1000年に一度と言われた大震災の体験が与えられた。それを単なる偶然と思うのか、深い意味を感じ取るか。それは一人ひとりの選択。
必ず終わりがやってくる人生。悔いのない人生を歩んでみたい。我々は誰もが、心の奥底に、その願いを抱いている。その心の奥底の願いに耳を傾けると、これから我々はいかに生きるか。その答えも静かに、聞こえてくるのであろう。
これからの人生を考えるきっかけになる本です。お勧めです。
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