2015年98冊目「しんがり 山一證券最後の12人」
1997年11月22日、3連休の初日に日経新聞は、朝刊1面の大半を使って「山一證券自主廃業へ、負債3兆円、戦後最大」とスッパ抜きました。
一方、山一證券では本社幹部と全国116店の支店長全員が早朝に叩き起こされました。しかし、本当に会社が無くなるのか、それとも存続の可能性があるのか、肝心なことは知らされません。
山一證券は1897年に小池国三商店として店開きした老舗です。日露戦争から関東大震災、太平洋戦争、そして阪神・淡路震災と、恐慌、好景気の大波の狭間で100年間、兜町の雄として存在していました。
人の山一と呼ばれ、旧富士銀行を中心とした芙蓉グループの系列でした。名門企業の幹事証券会社を次々と引き受けて、永遠に残る企業の1つに数えられていました。そのような100年企業が簡単に潰れるのでしょうか?一夜明けたら会社が潰れていたと言うことがあるのでしょうか?
山一は、過去1965年に一度破綻の淵にあったのですが、日銀から特別融資を受け、息を吹き返したのです。
104日前に社長になった野澤さん(泣きながら、従業員は悪くないと言った方です)も、会社更生法により立て直そうとしていました。しかし、大蔵省証券局は2600億円の簿外債務を見つけ、それを隠していたのが悪質であり、自主廃業を選ばせました。
この簿外債務は、法人営業部(大手企業担当のエリート組織)が取引を増やすために、長年にも渡り、子会社、海外取引などを組合せて隠蔽していたものでした。
自主廃業が決定した直後から、膨大な清算業務が発生します。それに加えて、この簿外債務が起きた理由、中身を明らかにしたのが、この12名の人たちです。それを担当したのは、山一の中のいわゆるエリート社員ではなく、会社中枢から離れた「場末」と呼ばれるビルにいた業務監査本部(社内名称ギョウカン)のメンバーでした。社内調査委員会を組織し、破綻原因を実名入りで究明したのです。なんかすごい話です。最後の数ヶ月は無給で働いていたようです。
自分がその立場なら、どうするのだろう?そんなことを考えながら読んだ本でした。お勧めです。
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