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THE BLUE HEARTSの歌詞は人生を教えてくれた

日本のパンクロックといえば後にも先にもこれ以上の存在はいないだろうTHE BLUE HEARTS。

何と言っても歌詞の素晴らしさは際立っている。シンプルなメロディに込められた圧倒的なメッセージ性は一度聴いたら忘れられない。

特に印象に残る歌詞を紹介したい。

弱い者たちが夕暮れさらに弱い者をたたく

TRAIN-TRAIN

これほど現代の世相を表している言葉もないだろう。日常生活の中でのマウントの取り合いやネット上での誹謗中傷など、余りにも目に余ることが多い。

ネットの誹謗中傷については開示請求をすると、犯人は社会的地位が低い人や自身も弱みを持つ人であることがほとんどだという。

よく大型犬と小型犬の話で例えられるが、大型犬は余裕があり、滅多なことで吠えたり攻撃したりすることはない。一方で小型犬は些細なことでもギャンギャン吠えて、敵意を剥き出しに周囲を威嚇することが多い。

人間も同様に現状に満足していない人や余裕のない臆病者ほど、他人と比較して他者を下げることで溜飲を下げたり、誰も敵視などしていないのに被害妄想に取り憑かれ攻撃されることを恐れて威嚇するような振る舞いをしたりする。

特に酷いのは現実世界では不満すらも碌に言えないような卑怯者が、顔が見えないことを悪用して、ネット上だと水を得た魚かのように傍若無人に振る舞えてしまうところかもしれない。
攻撃された側もそれこそ吠える子犬のように相手が現実世界では取るに足らないような存在だとしても、顔が見えない以上恐怖を覚えざるを得ない。

だが、これはネット社会の発展に限らず、そもそもの人間性の問題として昔から存在しており、これからも存在し続けるであろう。そういった人間の弱みにおける本質的な部分を的確に表現した非常に強く哀しい歌詞である。

人間は弱い、だからこそいつも心にこの言葉を留め置いて、弱者をたたくような自分になっていないか常に自問自答する。

大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない

少年の詩

果たして自分は大人側になっているのだろうか。未だに「物分かりの良い大人」には成れていない気がする。きっとこれからもそうだろう。

この前に「先生たちは僕を不安にするけど、それほど大切な言葉はなかった」という歌詞があって上記に続く。

イチローも愛聴していたというこの曲だが、彼自身もプロ当初は指導者に恵まれず辛酸を舐めたという経験から、奮い立たせられるものがあったのだろう。

偉そうに上からモノを言う人間ほど、後から振り返っても大したことは言っていないものである。“大人たち”に忌避されるような真っ直ぐで正直な言葉こそ、心に響くのだ。

大人も子供も関係ないよ
左も右も関係ないだろ?

爆弾が落っこちる時

ストレートな戦争批難の歌詞だが、このセンテンスに全てが詰まっている。戦争がいついかなる場面、あるいはどのような思想信条、どんな時代であっても許されることなどない。

子供はいつだって責任を取らない大人の犠牲に晒される。そんな子供でも戦争に反対できる世の中でないといけない。

思想も同じだ。9条があろうとなかろうと戦争を是としてはいけない。そんなことは大人も子供も関係なく自明な事柄である。

であるはずなのに、世界では未だに紛争が絶えない。国家間の戦争に留まらず、内戦も起き続けている。許されるわけがないのに、当たり前にそんなことが起きている世の中をつくっている「大人」とはいったい何なのだろうか。

はっきりさせなくてもいい
あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ

夕暮れ

幸せの正体は何なのか、そういった研究は枚挙にいとまが無い。だけど大切なのは幸せの理由よりも“なんとなく”幸せだと感じることではないだろうか。

世の中には白黒ハッキリ付けることで何のメリットもないばかりか、むしろ軋轢を生む事柄が数多く存在する。

隣の芝生を見て青いから彼方は幸せで此方は青くないから不幸だ、などと決めつけることに何の意味があるだろう。

他人とのマウント合戦を繰り返してマウンティングマウンテンの頂点を目指すことに何の意味があるのだろうか。

どちらが上でどちらが下か、そんなことはあやふやなまんまで良いのだ。そもそも決められることではないのだから。

生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう

青空

何も付け足すことはない。ただただストレートなメッセージで、世界中の誰もこの言葉を否定する言葉できないだろう。

であれば、内面に一切関わらないそんな瑣末なことで差別をするようなことの愚かしさがよく分かるはずだ。

苦労をすれば報われる そんな言葉は空っぽだ

スクラップ

これもまた薄っぺらい大人たちが言いそうなフレーズである。騙されてはいけない。
もちろん死ぬほど努力をして結果を残すような素晴らしい人もいるだろう。

だが、それは苦労ではない。熱狂である。決して苦しい労働などではないのだ。

苦労をすれば報われるなどと言う言葉を吐くのはいつだって苦労を押し付ける側なのだ。

誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない

未来は僕等の手の中

大切なのは自分で決めたルールや自分が守りたいと思うモラルである。他人の決めたルールやモラルなど、屁のつっぱりにもならない。

世間のマナーやモラルに自分自身の価値判断の尺度を委ねてはいけない。誰かが「あの人は悪い人だ」と言ったらその人は悪い人になってしまう。

自分で考え、自分で行動し、自分の目で見たことを信じるべきだ。それこそが正しい生き方だろう。

劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない
誰かのサイズに合わせて 自分を変えることはしない

ロクデナシ

社会にピタッとハマる優等生を目指しても仕方がない。人間の個性は殺そうとしても殺せないものだ。The 優等生などといった人間は実のところ、ハナから存在しないのだ。

誰もがそれぞれ個性を持っていて無理にカタチを変えようとしても元々違うサイズなのだから歪みが出るに決まっている。

それならば最初から無理なことはしないに限る。誰もができることをやれば良いのだ。


人生の目的は何か?と問われれば、様々な答えがあるかもしれないが、「幸せに生きること」がその一つであることは疑いようがない。

そのためにどうすれば良いのかは至極シンプルで、「日々、自分自身が幸せだと感じられる行動を取ること」のみである。

ここまで、他人と比較したり、他人の尺度で判断することの愚かしさをブルーハーツは教えてくれた。それは「自身の幸福」についても同様である。

弱いものを叩けば幸せなのか?
バカな大人たちに褒められれば幸せなのか?
苦労をすれば幸せなのか?
無理をして優等生振れば幸せなのか?
窮屈なハコに身体を無理矢理抑えこめば幸せになれるだろうか?

もう答えはわかっているはずだ。そんなことをしても自分のことを褒めてあげられない。自分で自分を幸せにしてあげられないのだ。

人生で悩む場面が訪れた時、ブルーハーツは常にそばに居て正しい道を示してくれる。

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