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後悔を舌で転がす

妻は抗がん剤投与のための入院と抗がん剤により体調を崩しての入院を繰り返した。
退院した時のホッとした表情を見る度に、命の危険に晒された張本人を目の前にしているということを再認識していた。
私にしかできないことがある。
それはいつしか私の生きがいになっていた。

必要以上に辛い思いを絶対にさせない。

病気以外のことで妻が苦しみに苛まれないないように。
自分にできることをミクロな視点でやっていこう。
そう誓った。

報せ

妻が抗がん剤治療で入院している最中は、連絡を取れていなかった身近な友人と電話をした。

「2020年8月にこういうことがあり、その結果今こうしている。」
非常に体力を使う電話だ。
しかし相談できる友達が複数人いた方がいざという時に助けを求める先が増える。
体力と天秤にかけ、結果として友人への連絡を繰り返した。

久々の連絡が多かったので、相手からの報せにも悲哀を感じるものがいくつかあった。


「Sががんで亡くなった。」

あまりに大きな驚きが邪魔をして悲しみの先の涙までは至らなかった。

Sは私の初めてのバイト先で出来た初めてのバイト友達だった。

高校一年生の4月。
入学するや否や向かったバイトの面接。
無事面接に受かり、生臭い階段を登り向かった休憩室に彼はいた。

「中野?俺はS。よろしくー。」
待ち構えていたかのように彼が挨拶してきた。
Sのおかげで不安はすぐに拭われた。

それからはシフトが被るたびにふざけた話をする間柄になった。

彼は高校一年生とは思えないくらい働いていた。
平日は大体17時から22時まで、休日も大抵8時間働いていた。

「なんでそんなにバイトするの?」
Sの詰めた働き方に疑問を持った私は聞いた。

「調理師免許を取るために専門学校行きたいから金が必要。」
Sはまっすぐそう答えた。

少々複雑な家庭環境で、学費を自分で稼がなくてはならないのだという。
料理人になるために調理師免許を取る。
高校生活はそれまでの過程に過ぎないからその先の専門学校へ行くために必要なことをする。

そんなことを言っていた。
軽い気持ちで質問した私はあまりにしっかりした回答を受けて恥を覚えた。
その日から彼を大人びた存在として認識し始めた。

それから一年。
魚の生臭い職場環境に嫌気が差し私はそのバイトを辞めた。
その後Sと会う機会はほとんどなかった。

友達づてに「料理人として成功して自分の店を出した。」という報せを受けた時は一人でにガッツポーズをした。
いつか突然食べに行って驚かせたいなと思っていた。

しかしSはがんで逝ってしまった。
舌がんだという。
あまりに皮肉が過ぎて怒りを覚えた。

料理人の命である舌に出来たがんのせいで夢を叶えたSは自分の店でほとんど働くことはできなかったのだという。

立派な夢を叶えたことに変わりはないが。


「来月線香をあげに行くから一緒に行こう。」
伝えてくれた友達にそう言われ迷わず行くことにした。



雨の中、Sの実家に向かった。
駅から離れいたので集合してタクシーで向かった。

「がん」と「死」を結びつけさせたくなかった、というよりそれを妻にそのまま伝える勇気がなかったので、事故で高校時代の友達が亡くなったと言い家を出た。
その日は妻の両親と姉が家で看病してくれることになっていたので安心して向かえた。

Sの実家にはSの奥さんとその間の子が居て出迎えてくれた。
立派な祭壇にあるSの写真は結婚した時のものだそうで眩しく映った。

帰りに友達と赤羽で飲んで帰った。
赤羽の赤提灯はいつでも魅力的だ。
ここでの話も書いておきたいところだけどまだ私の中に留めて燻していこうと思う。

生き様。
それは人が自分を誇示したり正当化するための便利な言葉だと思っていた。
本来は全然違った。

身近な人たちがそう思わせてくれた。

そこで感じたその人たちの生き様を胸に自分に対して素直に生きてこうとひとつ覚悟した日。

Sよ、出会ってくれてありがとう。
Sの料理をすぐに食べられなかった、いや、すぐ食べに行く選択をしなかった自分のこれからを改めてこの先も生きていくよ。
どうか安らかに。

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