【エッセイ】限界ネイルでもどんなネイルでも
数ヶ月前から母がよくネイルをするようになった。理由はわからないけど、仕事の日・そうではない日、その日のTPOに合わせて爪に色を塗って出かけるようになった。それにつられて、わたしもよくネイルをするようになった。
「ネイル」と言っても、ただ単色のマニキュア(最近はもはやマニキュアとも言わないらしい?)を爪に塗りたくるだけの簡単なもので、頑張っても交互に色を変えるとか、そんな感じのもの。
爪のケア自体も見る人が見たらおざなりもいいところで、本当にただ、爪に色を塗っているだけなのだ。
母とわたしは、ズボラ中のズボラで、本来ネイルに時間をかけるような人間ではない。
まず、ネイルって塗るところまではいいが、「速乾!」なんて書いてあるものでもなんだかんだと乾くまで気になるし、「乾いた!」と思っても気を抜くとどっかに擦ってヨレてやり直しになったり。
落とすのも除光液(専用の液がないと消えないのがもうしんどい)を使って…とかかなりめんどくさい。
しかもこれは、超ズボラ人間の手順であって、丁寧に大事にケアやネイルをしようと思えば、もっともっといくらでもやることがたくさんある作業なのであろうと思う。
というか、これはネイルに限らず、作業全てに通じることで、やろうと思えばどこまでだって丁寧に出来るし、これくらいでいいやと思えばどこまでだって手を抜けるのだ。その時の気分や体調、技術、時間との兼ね合いなどいろんなことを吟味してその時の「このくらいでいい」を人は決めているのだと思う。
ネイルを始めて変わったこともある。
これまでわたしは人の手を気にして見たことがなかったのに、勤務時にお客さんのネイルが素敵だと「おぉっ!」と思うようになった。なんか、「おぉっ!」と思う。「素敵だなあ」とか「上手だなあ」「いろんな手順をやり通したんだ!えらい!」とかいろんな意味の混ざった「おぉっ!」。
ほんとうは「素敵ですね!」とか話しかけたいけど、コミュ障ゆえ、いつも心の中で誉めて終わってしまう。
まあ、ともかく、母とわたしは「限界ネイル」生活を続けて数ヶ月になる。ここまでネイルしよう!という気持ちが続いたのは初だと思うし、最近は母とネイル売り場の前に立つ時間が増えた。新しく買った色を試したくて、うずうずしたりもしちゃう。
何故、人はネイルをするのだろうと思う。
わたしのなんかは、ただベタ塗りの素人丸出しのネイル。ネイルというか、爪を範囲選択してバケツ塗りしてるみたいな感じの「限界ネイル」。
でも、それでも、「次、何色にしようかな」と考えたり、チラッと視界に入った時、爪に色があるだけですごく楽しくてワクワクするし、やる気が出てくる気がする。
なんでかは分からないけど、「わたし、こんなかわいい爪しちゃってますけど!」という根拠のないパワーが湧いてきて、心躍るのだ。
これを書いてるわたしの爪は今、透明なキラキラのラメラメ。言葉を打つたび、キラキラ反射してとってもきれい。
彩られた爪を見て、「みてみて!テキトーでもどんなネイルでも、わたしたちの爪はこんなにかわいいの!」、そうやって自分をやさしく鼓舞する。
それが、人がネイルをする理由かもしれない。