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ドラクエ3の思い出

ドラクエ3には強めの思い出が2つある。
2つともゲームの外での出来事で、当時の自分にとってはちょっとした事件みたいなものだった。

正直、他人から見たら、どちらもそんな大した話じゃないと思う。
でも、ドラクエ3誕生時のひとつの記録ではあるので、
今もし異常に暇があるとか、そういう人がいたら読み進めてみてほしい。


それにしてもファミコン版のパッケ絵最高すぎる。

思い出を振り返る前に少し情報が必要だと思う。

例えば… この話に登場するDQⅢは1988年2月発売のファミコン版についてのこととか、ドラクエ1と2の連続ヒットで、DQⅢが発売前から社会現象的に扱われていたとか、実際、発売後には「ドラクエ狩り」だの「抱き合わせ商法」だのがニュースを賑やかすことになることだとか。

そういう時代感と入手困難性があったということを頭において読んでもらえると助かる。

あと、自分についての情報も必要かもしれない。

まず私は中野という名前のしがないゲーム開発者のおっさんである。
そしてDQⅢ発売当時の私は小学6年で中学2年の兄がいた。

我ら兄弟は月並みにRPGが好きで、月並みに少年ジャンプを購読していた。母子家庭だったので裕福ではなかったが兄弟の誕生日・Xmas利権でけっこうなRPGをプレイした。ドラクエ、FF、ゼルダ、MOTHER、桃伝あたりは発売日近くでプレイした気がする。

そういう当時の一般的な少年の話として受け取ってほしい。
(一般的でしたよね?)


1つ目の事件は、ドラクエ発売前から始まる。

ある日、ジャンプでDQⅢの発売を知った兄弟はすぐさま予約を決意し、
詳しい経緯は忘れたけど、予約の段取りを私がすることになった。

小学生だったのでゲームの予約レベルの社会的行為を行うのは初めてで
結構ドキドキしたのを覚えている。

予約は近くのおもちゃ屋に電話でした。

おもちゃ屋との交渉は意外とスムーズで、電話の最後には「発売日に買えますか?」と質問することもできた。「分からないね。何本入ってくるか分からないもんだから」とおもちゃ屋主人は言った。

ただ、予約順は早い方で一桁台とのことだった。(たしか9番目だったと記憶している。)

「やったぜ、俺はやり遂げた。」くらいの気持ちになり、兄に余裕の予約完遂の報告をした。兄の反応は薄かったが「OKOK」くらいは言われたかもしれない。後は発売を待つばかりである。

しかし、その増長は思い切り砕かれることになる。

発売当日、店に行くと店主は中野などという予約者はいないという。
絶望である。憤った兄から肩口にゲンコを貰うくらいの事はされた気がする。

私はうなだれた。数日間、世界はどんより灰色で、夕飯には味がなかった。

だが、その時、運命の電話が鳴る…!

?   「もしもしナガノ様のお宅でしょうか?」
私(小6)「いえ中野と言います」
?   「ん?ああ、DQⅢを予約された方ですか?」
私(小6)「予約はしてたんですが」
店主  「ああ、聞き間違いでしたね。」
店主  「中野さんDQⅢ届きましたが購入されますか?」

大逆転である。世界は色彩を取り戻した。
このように私のDQⅢをめぐる冒険はゲームをする前から始まっていた。


2つ目の事件はたしか、Lv20でエジンベア辺りを彷徨ってた頃だったと思う。ある日、ずっとファミコンに刺さったままだったDQⅢのカセットが忽然とその姿を消した。

私はほとんどパニックだったけど、兄はそうでもない感じだった。

私にはその兄の慌てなさぶりが不思議だったが、母と兄との会話の断片的な情報をつなぎ合わせると、我が家に入り浸っていた兄の友だちが盗んでファミコンショップに売っていたという事実が見えてきた。

ぼやぼや数日間ほど両家の親のやりとりが続いたと思う。詳しい情報は降りてこなかったが、結局、我々が(売却されたファミコンショップに)我々のDQⅢを買い戻しに行くことになった。(この間のお金の流れは覚えていない。もともと聞かされて無かったのかもしれない。)

ドキドキである。気が気ではなかった。

我らのDQⅢがすでに転売されてないか、ショップに残っていてもセーブデータが無事かどうか。なぜDQⅢはふっかつのじゅもんを無くしたのか、そんな理不尽な不満をたぎらせたりもした。

そして、その日ゲーム屋にいくと、ショップ店員が慣れた手つきで確認のための起動をはじめた。モニターの映るファミコン版DQⅢの異常に簡素な起動時UI。「ぼうけんをする」で映るロード画面。

そこには確かに「なかのふ」の文字があった!!そう!我ら兄弟のセーブデータは生き残っていたのだった!

かくして前代未聞のイベントを経て私はエジンベアの舞台へと舞い戻ってきたのである。


この2つの事件も相まって、ドラクエ3の冒険は特別なものとして自分の中に息づいている。

もしかすると自分史を彩る記憶の上位25%くらいに位置しているかもしれない。なんだかんだその後の人生でゲームに関わり続ける原動力の、わりと中心部近くにあるって感覚が自分にあるから。

今回こうやって久しぶりに記憶の底から取り出して、色んな角度から検分してみたけど、やっぱり”あの頃”というのは、今より荒っぽくて、濃い目の生きるチカラが満ちていたように思う。

少なくともみんな今より未来を信じていた気がするし、正直いって魅力的に感じてはしまうなあ。

これが時代によるものか、ただ若いってそういうものだ案件なのか解らないけど、あの無闇に青くて遠い空が、今を生きる自分にとって毒だったりもするんだろうなあと自戒したりもしたのである。

改めてありがとうドラクエ3。

毎日、業務に疲弊するおっさんにいつもは書かない程度の長文を書かせるくらいの熱量が貴方にはありました。

これからリメイク版を楽しませて頂きますね。

というわけでこの話は以上です。おわり。(アリアハンが待っているので。)


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