元気玉とは違うけど
仲間についてのお話をさせてください。
わたしの考えでは、仲間は「結果」だと思うのです。
物語で言えば、主人公が戦い、決着が着いて世界が平和を取り戻した時、その地に仲間がいる、あるいは発見する、と言った過程ですね。
戦いは、個人でしなければならないものが、わたしたちの人生ではかなり多くを占めています。
誰も替わってくれない、自分自身が主体となって取り組まなくてはならない出来事がある。
誰かに替わってもらってはいけない課題があります。
しかし、そういう戦いを終えた時、不思議と温かい出会いを経験することが、何度かありました。
自分が成長するから仲間が現れるのでしょうか?
もっともこういう考えは、わたしにかぎったことで、また別の思考もあります。
言わずと知れた『ドラコンボール』元気玉ですね。
みんなの力を合わせ、みんなで敵を倒す。
みんながつながると、すごいパワーが出る。
この考え方は、他のヒーロー特撮、アニメたは広く見られて、決して否定してはならない日本人の真理、とも言える価値観ですね。
誰も疑ってはならない宗教?とさえ言えるほど、強く支持されています。
しかし、みんなで事にあたるにしても、最初から集団主義の元気玉は、個人の実存が、はっきりしなくなってしまうのではないでしょうか?
誰でもない自分の人生は、自分の責任で大切に生き抜かなくてはならないし、自分の主体的な人生の、すばらしさ、とうとさ、よろこび、と言ったものを大人のみならず、子どもにはどっかで小さいうちに知っておいてもらいたいですね。
仲間とは、結果なのです。
元気玉は、いざというとき誰も責任を取れない戦法ですね。
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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。これからもがんばります。中村 拝。