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歩くのが、少しおそい

 旅館に住み込みで働いていたことがある。山の上にある治癒場で、旅館から迎えにくるキャタピラ付きの雪上車に乗らなければたどり着けない場所にあった。そこで僕はあるノンフィクション作家の女性と話したことがある。雪に閉ざされた二月のことだ。その日は夕方から強く吹雪いており、毎晩開催される星空観測会も中止となった。仕事を上がった僕は風呂上がりにロビーの暖炉前で蕎麦茶を啜っていたその人に声をかけられた。夕食時に僕が配膳を担当したことを彼女は覚えていたようだった。どうしてここで働いているのかという話から、彼女は自分の職業を明かしてくれた。作家である彼女は驚異的な記憶力の持ち主であり、過去の会話のほとんどを覚えているらしい。カポーティみたいに。作家とは多かれ少なかれそのような特殊能力を有しているのだろうか。
「あの時あなたこう言ったよね、なんてことはしょっちゅう。けどね、人は自分で言ったことさえほとんど覚えていないの。過去のその人と今目の前にいるその人は本当に同じ人間なのか。もしかすると人間は眠るたびに死んでいるんじゃないか。目が覚めた時、自分が自分だとわかるのはどうしてなのか。そんなことに悩んだ時期もあった。だから、そういうものだと思ってやり過ごす術を覚えるしかなかった」
「それで、死にたくなったりしませんか?」
「何度も。実際死に場所を決めてロープを買いに行ったこともある。でもね、近くのワークマンまで行ってみると、ロープは売ってないって言われたの。それでどこなら売っているのか尋ねると、百均にならあるかもしれないって。私の命ってそんなもんなのかって思うと馬鹿らしくなって、それでやめちゃった」
 そんな話を思い出したのは、弟が過去の記憶を理由に両親への虐待的な罵詈雑言を正当化するようなことを言い始めたからだった。母は近頃鬱傾向になり時には家出する。父は疲れて帰ると深夜まで愚かしい口論に付き合わされる。弟は我が家を崩壊させようとしていた。
 確かに、あの人のように全てを正しく覚えていると考える人はいるし、実際そのような能力をもつ人は存在するのだろう。しかしその記憶が本当に正しいのかどうかを確かめる術はない。例えば今後、全てのライフログを記録できるような技術が普及したりしない限り。本当に正しいとは、つまりどういうことだろうか。今ここで、家族間ですら認識の齟齬が生じているように、同じように生活をしていてもそれぞれが見ている世界は大きく異なっている。本当に正しい、などと呼べる事象は存在するのだろうか。そんなことを考えているのはつまり、目の前の会話を僕が面倒だと感じ始めているということを示していた。
「虐待?」
「そう。小さい時、父さんに掴み上げられて家の外に放り出されたのを、僕は覚えてる」
「他には?」
「他にも、例えば、寝るときに包帯で手をぐるぐる巻きにされてたこととか」
「それは君のためだと思うけど」
「そもそも僕がアトピー持ちで生まれてきたことがもう虐待やん。蕎麦も牛肉も今やって食べれやんし」
「へえ。それで、君は親を傷つける権利があるって言うんだね」
「そう。いつまでも苦しめ続けたい」
 弟を見て、髪が長すぎると思った。伸ばしっぱなしでこんな時間に寝癖がある姿はひきこもりのイメージそのままであった。彼は痩せすぎていた。日に当たらない肌は不健康に白く、服のサイズは小さくなっているように感じた。いつの間に僕の背丈を追い越したのだろうか。彼はリビングのソファーに座り、僕はローテーブルを挟んだ反対側の座布団の上であぐらをかいていた。父はキッチンテーブルの椅子に座り押し黙っており、母はその前で静かに泣いている。
「死にたいの?」
「そんなこと言ってない」
「思ったことは」
「ない、かな」
「へえ」
 それでも、どうしても許せないのだという。何が言いたいのかよくわからない。それは突然現れた問題ではなく、彼が生まれた時から付き合ってきた事柄のはずだ。どうして今になって唐突にそれらをもって両親を凶弾する必要があるのだろう。
「別に突然とかじゃないし。ずっと思ってたから」
「ずっと憎んでた?ずっとそうやって一緒に暮らしてきた?」
「……そういうことになるんじゃない」
 弟は大学受験に二度失敗し、今年は三度目の受験になる。二度目の受験は準備不足を理由に受けることすらしなかった。二十歳を過ぎ、アルバイトをしたこともない。母にねだって買わせたパソコンの前でいつも何をしているのかは知らないが、いずれ京都大学へ行くということを理由に大学を出ていない両親をひどく軽蔑している。大学を辞め地元に帰ってきて適当な就職をした僕のことも見下している。未来を担保に。そうして夕飯の席でどうでもいいこと、例えば「ラタトゥイユ」という料理を父が知らないことなどを挙げつらって家族を馬鹿にすることで日々を繰り返している。何が楽しいのだろう。
「別に楽しくない。こんなとこにいたくない」
「じゃあ出てけばいいと思うんだけど」
「それは育児放棄やろ」
「君もう二十歳じゃなかったっけ。自分でバイトして家賃払ってくくらいできるでしょ」
「勉強する時間がなくなる」
「そうかなあ」
「親には責任があるやろ」
「これはまた、どうしようもなく無責任なことをいうね」
「は?」
「君の人生の責任は、君自身しかとってくれないと思うけど」
 人生なんて大きな主語、と内心自分で笑ってしまう。どうしようもなく軽薄なお話だ。家の中以外の社会が存在しない弟はその中で溜まっていくストレスの吐口として当然のように両親を選んだに過ぎず、その行動に対する理由を後付けで言い募っているだけに思えた。けれどもし、本当に彼が生まれた時からずっと両親を恨んでいたとすれば。彼が語る世界が全て本当に正しいとすれば、それで彼は満足するのだろうか。どうして彼は自分が不幸だという現実を証明することに対してそれほどまでに固執しなければならないのだろう。
 今日の発端は母がウクレレを習いにいこうかなと言い始めたことであった。夕飯後、僕は昔なんとなく買った安物のウクレレを母に譲り、その弾き方を教えていた。そこに遅れて自室から降りてきた彼が居合わせ「そんなことするくらいなら僕に投資してよ」と言った。僕に投資!凄まじい力をもった言葉を話すと僕は感心した。どのような自己認識があればそのような言葉を親に向かって言い放つことができるのだろう。しかしその後の言い争いから出てきたのはどれもただの責任転嫁でしかなかった。彼の語る物語はチープでありきたりで何も面白いところがない。そんなことを思う僕もそれなりに悲惨だ。けれどそれは僕の責任なのでどうだっていい。何事も自分の責任だと思えば随分と過ごしやすくなる。無責任に。投げやりに。
 結局深夜二時過ぎまで続いた自意識過剰な不幸自慢は眠気とともに尻すぼみとなり何も生み出しはしなかった。このような無意な時間を過ごすよりも彼はとにかく勉強しなければならないはずなのだが、それとこれとは話が別らしい。どうして破綻を回避するのだろう。生活なんてものはどうだっていいではないか。歪な平衡を保ち生き続けることにどんな意味があるのだろう。彼は今後いったいどう生きていくつもりなのだろうか。京都大学へ行く。そうすれば全てが正常化する。そんな祈りを持ち続けている彼には一定の愛らしさがあるのかもしれない。彼も必死で現実を繋ぎ止めようとしているのだ。破綻してしまいそうな現実を。全て自分が正しい。それを証明する。どうぞ頑張ってください。

 弟への嫌悪はそのまま自分へと還ってくる。だから僕はあまり関わりたくないのだ。他人を理解できると思うことほど軽率で傲慢なことはない。けれど彼は僕によく似ている。僕が押し隠している感情を素直に表出すると彼のようになるのかもしれない。みんな幸せになればいいなと思う。それはつまり誰にも興味がないということかもしれない。僕が一番興味を持っているのは結局自分自身なのだろう。随分と帰りが遅くなってしまった。同居人には泊まってこればと言われたが、実家にはコンタクトレンズがない。車に眼鏡も置いていないので、このまま眠ってしまうと明日帰れなくなる。バイパスを走りながらアクセルを少しずつ踏み込んでいく。実感が欲しい。生きているという実感が。どうして生きているのだろう。何のために。どこへ向かっているのだろう。そんなことを考えても仕方がない。昔読んだヘッセの「シッダールタ」にも、それは探し求めるものではなく見出すものだというようなことが書かれていた。僕はどうなりたいのだろう。彼はどうなりたいのだろう。何が望みなのか、そんなものはっきりとわからないままほとんどの人が生きている。世界は曖昧で、意識は朦朧としている。あなたは誰だと問われても僕には単語ひとつ見つけられない。高校生の頃、UFOを探して夜空を見つめ続けた。未知へ連れ去られたかった。中途半端に実態のある社会と関わるのが得意ではなかった。みんなそれぞれ演技をして、いったいどこで本当に生きているのだろう。そんなことを思ってしまう自意識が恥ずかしい。けれど僕はいつまでもそこから先へ進むことができていないようだった。軽自動車のエンジンがかわいそうな唸りをあげる。ベタ踏みのアクセル。小雨が降り始めた。どれだけ空想に救いを求めてみても現実を振り切ることはできない。助手席には買ったばかりの文芸雑誌が投げ出されている。新人賞の通過者の中に僕の名前は載っていなかった。救い、と声に出してみる。笑ってしまう。いったい何から救われたいのか。現実を受け入れられないのは僕も同じだ。現実がつまらないのは君という人間がつまらないからだよ。ツイッターのタイムラインにそのような呟きを見た。そうでしょうね、と思いながら僕はそのアカウントをブロックした。見たくないものは見なければいい。本当のことなんてどうでもいい。そんなものありはしないのだから。みんなが幸せになんてなれっこない。僕は幸せになりたいのだろうか。幸せってなんだろう。赤いテールランプが急速に近づいてくる。慌ててブレーキを踏むと足の裏に何かを削るような嫌なひっかかりを覚えた。クラクションの音。遅いよ、と呟く。僕の車はすでに停止している。前の車と数センチを残して。それが現実。僕も結局破綻するのが怖い。生活を軽んじ、無気力に仕事をし、誰にも届かない小説を書いている。だから、誰にも迷惑をかけたくなかった。死にたくなかった。動悸がひどく、煙草に手を伸ばした。
 例えば、目の前の車の運転手が降りてきて僕を殴り飛ばしてくれれば、少しは気分が晴れたかもしれない。けれどそんな自傷行為的な妄想は現実にならず、雨に滲む信号が青に変わると平常が回帰する。目の前の車はそっと走り出し、いつまでもそこに留まり続ける僕から遠ざかりやがて見えなくなった。ここでエンジンとライトを切ってしまえば、後ろから来た何も知らない車が突っ込んでくれるかもしれない。貫通すればいい。跡形もなく、僕をこの世界から解き放ってくれればいい。けれどそんなことになるはずもなく、面倒な現実が立ち現れるだろう。骨折。打撲。警察。賠償。僕はアクセルに右足を戻し、少しずつ現実へ帰還する。アドレナリンは霧散し、羞恥心がやってくる。煙草に火を点ける。何かを誤魔化すように。何かの演技のように。誰も見ていないところで僕は何を演じ、何を恥じているのだろう。煙が目に染みる。弟を殺そうか。
 自己陶酔。顔が熱くなる。恥ずかしい。弟を殺すなんて思ってしまう自分の陳腐さに性欲が高まる。運転しながらスマホでデリヘルサイトを検索するがもう三時だ。どこも閉店の時間。けれど待機中の文字が明滅するのを見て、勢いで電話をかけた。電話は繋がった。

 殺すな、と言われた。月一で通っている地元の読書会でのことだ。橘さんは高校で国語を教えているらしい。確かに読書会での話し方も先生らしく慣れているように感じた。先月、僕の書いた短編を彼に読んでもらった。その感想が「殺すな」であった。小説の中では簡単に禁忌を犯すことができる。人を殺すことなんて簡単だ。けれどそこに必然性はあるのか、その登場人物が死ぬことにどのような意味があるのか、そのことを真摯に考える必要がある。物語的な都合で簡単に殺されてしまった登場人物。僕はその人物についてどう考えていたのだろう。僕が書いたその小説は推理小説や犯罪小説の類ではなく、人が死ぬ必要はなかったのかもしれない。僕はよく「喪失」をテーマに物語を作る傾向がある。「足りない」ということは物語を進めるための要素として使いやすいのかもしれない。足りないものを探す、または補おうとするために主人公が行動する。それは物語の目的をわかりやすくする。けれど、僕は自分に何が足りないのかわからない。いや、足りないものが多すぎる。何を持っているのかもわからない。どうすれば進めるのか、どこへ向かいたいのかすら、わからない。だから、弟を殺そうと思ったそれは安易で怠惰な結論だ。こつこつと、一歩ずつ進んでいくしかないのに、劇的に変化することのない日常に嫌気がさし、思考を放棄し、楽に逃げた衝動でしかなかった。小説を書こうという人間が思考を放棄してしまってはおしまいだ。
 高校生の頃から、同じようなことを繰り返している気がする。自分の内でどれほど感情が渦巻いていようと、世界は何も変わらずに回っていく。そしてそのことに耐えきれず、簡単に変えてしまえそうな人間関係に、変化させるという目的だけで手を出してしまう。付き合う気もない女の子に突然告白してしまったことがある。あまりにも無責任で痛々しい。そして僕はその日から彼女と一緒に帰ることになった。二年生の夏、北川芽衣子は僕の被害者となった。
 彼女に告白したのは、偶然が重なった結果だった。僕はショートカットの女の子が好きで、芽衣子はショートカットだった。彼女は一年と二年で同じクラスになった数少ないクラスメイトのひとりで、僕のことを大ちゃんと親しく呼んでいた。クラスの催しで同じ係を担当したことがあった。明るく照れ屋で、丸い小さな鼻をしていた。僕は子犬みたいな丸い小さな鼻が好みだった。そしてある日偶然、どうしてだかわからないが、放課後の夕日が差す教室でふたりきりになった。その時僕はよくわからない何かを堪えきれなくなっていた。ある種の空気が漂っていて、何を待っていたのか椅子に座ったまま僕を見上げる芽衣子が恥ずかしそうに笑った。僕は窓の外のサッカー部に目を向けた。グラウンドにいたかもしれない自分を想像した。僕は中学までサッカー部だった。そしてひとつの言葉で何かを変えることができるのかもしれないと思った。それは強い誘惑であり、僕は言葉を支配できていなかった。付き合って欲しいという言葉が意味するものについて、僕は何も知らなかったのだから。
 芽衣子はビートルズとサリンジャーが好きな、料理上手の女の子だった。僕は洋楽をほとんど聞いたことがなかったし、サリンジャーについて知っていることと言えば、ジョンレノン殺害の犯人が愛読していたことくらいであった。なのでその取り合わせにはどこか不穏なものを感じたが、彼女は純粋にそのふたつが好きなのであった。ほとんど何も知らなかった彼女の世界が少しずつ僕の中に流れ込んできた。まっさらな僕のiPodの容量は大半をビートルズが占め、ふたりで本屋にサリンジャーがあまり置いていないことに文句をつけた。昼休みには芽衣子が作ってきてくれた弁当を食べ、「ナインストーリーズ」の好きな場面について話し合った。僕は村上春樹訳の「フラニーとズーイ」が好きだったが、彼女はあまり気に入っていないようだった。けれどふたりとも「ライ麦畑でつかまえて」は大好きだった。そしてお互いにどうしてそれが好きなのかうまく言語化することができずにいた。
「やっぱりそこに自分のことが書かれているような気がするからじゃない?」
「でもそんなのなんか、軽くない?どこかで、最も無駄な批評は共感だって読んだよ。それにそういうのが嫌でサリンジャーは隠居しちゃったんだし」
「そうなの?じゃあ何を書こうとしたんだろう」
「どうして小説を書くのか、みたいな話になっちゃうね。大ちゃんも小説書いてみたら?」
「書きたいのは芽衣子でしょ」
 まあね、と笑う彼女は早稲田大学の文学部を目指していた。僕には自分の色を持ち夢を語る彼女が眩しくて、隣にいると時々脈絡もなく泣き出してしまいそうになった。大ちゃんは何がやりたいの、と芽衣子はよく言った。その言葉がどれほど僕を傷つけているのかにも気づかずに。けれど僕は彼女のそばにいることが好きだった。僕たちふたりは学校という社会の中に違和感なく溶け込んでいた。僕はそれが心地よかった。それは僕ひとりではできないことであった。四日市駅前のマクドナルドで勉強し、窓の外のクラスメイトの冷やかしに手を振った。マクドナルドのテーブルに開かれた「ビートルズで英語を学ぼう」という古本のことを僕は今でも覚えている。僕らの英語の成績はとても良かった。
「大ちゃんは、大丈夫だよ」
 そう言われたのは大学に入った年の夏だった。僕はあまり努力せずに入れた日本海側の国立大学に進学し、芽衣子は希望通り早稲田大学に合格して東京でひとり暮らしを始めていた。夏休み、久しぶりに会った僕らの間にはもう、高校時代のような自然な空気は流れていなかった。
 それは報いだ、と僕は思った。身勝手な感情に彼女を巻き込み、そこにあったものに満足してしまった怠惰な自分。言葉の意味を知らないまま形だけを消費していた傲慢な自分。彼女は東京で新しいものを見て、新しい考えを得て、新しい人を好きになったのだった。何かを変えたいと思った僕だけが変われずに続いていく。僕は芽衣子を応援し、大丈夫だよという彼女の言葉を信じた。けれど僕は全然大丈夫ではなかった。大学生の僕はビートルズとサリンジャーが好きでたまに短編小説を書くような男になっていた。自分では何も考えず、芽衣子の頭を使って考えていたのかもしれない。芽衣子の言葉を使って。僕はまっさらに戻ることもできず、好きだったものをひとりで抱えていくことになった。そしてそれに耐えきれず僕はまた誰かをインストールしてしまう。僕は誰かの気持ちと同期することが得意なようだった。自分自身の空虚さを自覚していたからかもしれない。そんなことを繰り返すうちに自分自身というものがわからなくなった。そんなもの、初めからなかったのかもしれないが。

「最近の思春期は二十五歳から三十歳とかいうからねえ」
 ネットで検索して適当に就職した会社の社長がそんなことを言った。僕はどうして自分がそこにいるのかわからず何も考えずに大学を辞め、いくつかの町を転々としながら何を探しているのかわからなくなり、結局地元に帰ってきていた。
「最近の子は反抗期がない代わりに大人になってからそうやって悩んで鬱になる子が多いらしいね」
「そうなんですか」
「まあそんな難しいこと考えても仕方ないさ」
 会社からほど近い駅前、社長いきつけの居酒屋で、社長のキープしていた黒霧島を緑茶で割って飲んでいた。禁煙したと聞いたが、社長は僕に煙草をねだった。一本差し出し、百円ライターで火を点ける。
「ピースなんておっさんみたいなん吸っとるんやなあ」
「まあ、なんだっていいんですけど」
 ピースは大学時代に数ヶ月付き合った彼女が吸っていたものだった。その彼女はきっと、前の彼氏が吸っていたものだったのだろう。僕はその女の子の名前を思い出せないことに気がついた。ショートカットの後ろ姿が美しかったことははっきりと覚えている。僕のアパートのベランダでピースをふかすその後ろ姿だけははっきりと。
「辻君は彼女おんの?」
「いないんですよね」
「うちにはおばはんしかおらんでなあ。あの子らとかどや、声かけてみいや」
 座敷の方で盛り上がっている女子大生くらいのグループをカウンターから振り返る。苦笑いで首をふると煙草の煙を吹きかけられた。煙草よりも口臭がひどかった。
「いやー、そういうことしたことないですし」
「そりゃ男としてあかんやろ。ちょっといってこい」
 パワハラじゃん、と思いながらも酔っ払いには敵わないので渋々声をかけにいくことになった。そうして出会ったのが今の同居人、尾本真梨だった。
 真梨は二十歳になったばかりの看護学生で、つまり弟と同い年ということになる。酒を飲み慣れてないのか自分のペースを知らず、うまく彼女たちの輪に入って飲み出した僕はトイレで彼女の介抱をしなければならなかった。そういったことは大学生の頃に経験していたので、冷静な僕の対応は彼女たちに好印象を与えたらしい。社長は途中で気前よくそこまでの勘定をもって家庭へ帰っていった。
「ほんとにすみません」
「君らちゃんと帰れる?」
「大丈夫です、みんな近くなんで」
「あんまり無茶せんようにね」
 三人いれば大丈夫だろうと思い、僕は彼女たちの背中を見送った。真梨からのラインが届いたのは深夜二時を過ぎた頃で、僕は一度家に帰りシャワーを浴びてからしばらく本を読み、眠れなかったので河川敷まで散歩して、煙草を川に投げ捨てたところだった。酔いは醒めていたが、ラインの通話ボタンを押すことにためらいは感じなかった。
「あ、こんばんは」
「ごめんね、急に」
「いえ、今日はほんとにすみませんでした」
「ありがとう、のが嬉しいな」
「……ありがとうございました、助かりました。お恥ずかしいところを」
「ほんとにね」
 真梨は電話越しに小さく笑った。冗談が通じてよかった、と僕は思った。新しい煙草に火を点けた。
「外にいるんですか?」
「よくわかったね」
「虫の声がするから」
「うるさい?」
「いえ、なんか、落ち着きます」
「僕も」
 心地よい沈黙。川は重い黒に揺らめいている。吸い込まれそうな誘惑の色。また会いたいな、と独り言のように呟いた。それから二ヶ月後、僕らは会社から少し離れた場所で同棲を始めた。七月で、引越し資金ぴったりのボーナスが振り込まれたからだった。

 弟を殺したいと唯一告げた相手は、るるはという源氏名のデリヘル嬢だった。やはりショートカットで、小柄なのに胸が大きかった。そういえば僕は胸の大きな女性と付き合ったことがなかった。弟と深夜まで口論した日に呼んでから、月に一度僕は彼女と会っていた。彼女は「大ちゃん」と僕を呼んだ。その度に僕は芽衣子のことを思い出す。芽衣子とはセックスをしなかったからだろうか。真梨とは知り合って一ヶ月もしないうちにラブホテルへ入った。一度目は映画を一本見ただけで、二時間になる前にホテルを出た。二度目に入ったときに僕は真梨を抱いた。彼女は処女だったが、どういうわけか血はでなかった。僕は処女を何度か抱いたことがあるが、どういうわけか血を見たことはなかった。そして真梨はその日から僕のことを「辻さん」ではなく「大輔」と呼ぶようになった。
 るるはが風呂に湯を張っている間、僕はソファーに座って煙草を吸う。小心者の僕は何かに酔わなければならなかった。彼女は都会から出稼ぎに来ているわけではなく、昼間は四日市で医療事務をしているらしい。けれど仕事の愚痴を話すわけではなく、僕の話を聞きたがってくれた。話を聞きたがる女性に僕はあまり出会ったことがなかった。いつも僕が話を聞く側だった。今まで知り合った女の子たちは僕に興味を持っていたわけではなかった。たまたま僕がちょうどいい何かであったのだろう。るるはを特別に思うほど世間知らずではない。彼女以外のデリヘルを利用したことはなかったが、顧客に個人情報を話すほど馬鹿でもないのだろう。デリヘルの利用者がどういう人たちなのかには興味があった。僕の周りではそういう話をすることがなかったから。僕に友達が少ないことが原因だ。高校の時はほとんど芽衣子とふたりでいた。大学の時もその時々の彼女と一緒にいることがほとんどだった。飲み会に参加することは度々あったが、大人数で話すのはあまり得意ではなかった。飛び交う言葉についていくのは苦手だった。
「大ちゃんはよく笑うから大丈夫だよ」
「そうかな」
 僕はよく笑うのだろうか。何が大丈夫なのだろうか。裸で向かい合ったまま僕はるるはの大きな黒目を覗き込んでいた。そして彼女の本名を知らなくてよかったと思った。きっと僕はそれをすぐに忘れてしまうだろう。けれどるるはという記号はきっと覚えていることができる。そんなことにどのような意味があるのかわからないが、僕はそう思うことで安心することができた。僕は誰かを消費してしまう自分が悲しかった。金を払い性を消費しているのに、何を思っているのだろう。けれどるるはの前で僕は射精できたことがなかった。一通りそれらしい触れ合いが済むと僕は萎えてしまい、後半はいつもるるはを抱きしめたまま何か話を聞いてもらっていた。そんな自分は普通に行為を楽しむ客よりも惨めで気持ち悪いのかもしれない。
「多く笑う者は幸福だ、多く泣く者は不幸だ」
「なにそれ」
「そんな言葉があるんだよ。朗らかさはそれがそのまま直接的な利益になるの」
「またショーペンハウアーの話?」
 抱き寄せた胸の中でるるはの華奢な背中が震えた。
「正解。さすが大ちゃん」
「るるはもよく笑うよね」
「かわいいでしょ」
 どうして僕はここでこうしているのだろう。妹のように感じる女の子と裸で抱き合い、こんな話をする自分を客観的にとても気持ち悪く感じる。けれどこのぬるま湯のような偽物の時間を何度も買ってしまう。冬に差し掛かり、真梨は遅くまで実習の課題に追われていた。「実習の時にだいたい別れるんだって、うちら大丈夫かな」なんて抱きついてきた彼女は今の僕との関係をどう思っているのだろう。問いかける気力もなく、時間もなかった。お互いがお互いの邪魔にならないように気を使い、ある種の共生を成立させている。それはそれで僕には悪くない関係に思えた。けれど僕ももうすぐ三十路と呼ばれるようになる。これからどこまで僕は生きていくつもりなのだろうか。どこへ向かって。
「例えばね、若くて、イケメンで、お金持ちの人がいます。その人が幸せかどうか判定しようとしたら、その人が朗らかな人間かということが問題になってくるわけ。でもある人が朗らかな人間だとしたらね、若いとか年寄りだとか、金持ちか貧乏かとか、そんなことはどうでもいいの。そんなこと知らなくてもその人は幸せだってわかる」
「そうなのかな」
「そうだよ。大ちゃんはよく笑うし、恵まれてるよ」
 ショーペンハウアーの本を読んで自分の言葉で話せるデリヘル嬢は世界にどれくらいいるのだろう、と僕は考えていた。彼女は僕なんかよりもよっぽど立派な人間だ。自分の指針を持っている。幸福になることを恥じていない。生きることを疑っていない。自分が存在することに不安を覚えていない。どうなのだろうか。本当は。彼女も、真梨も、社長も、どんな人でもそのような不安を抱えたまま生きる覚悟を決めて自分に向き合っているのだろうか。僕はいつまで自分から目を背けているつもりなのだろう。るるはがどんな時間を生きてきたのか僕は知らない。真梨のことも、弟のことも、父や母のことも知らない。僕は自分のことしか見ていない。そんな僕が小説を書きたいだなんて。
「また笑ってるでしょ」
「うん」
「……泣いてるの?」
 アラームが鳴る。るるはが僕から離れiPhoneに手を伸ばす。その瞬間、もう会えないかもしれないと思った。今までに何度か同じことを思ったことがある。その直感はだいたい外れる。けれどタイミングを外して別れはきちんとやってくる。僕が受け身を取れない時を狙って。結局僕はいつも何もわかっていないのだろう。るるはが戻ってきて、頭を優しく撫でてくれた。

 思うに、弟は退屈しているに過ぎないのだろう。ショーペンハウアーは人間の幸福に対する二大敵手を「苦痛」と「退屈」だとした。そしてこの二大敵手のどちらか一方から遠ざかることができればできるほど、それだけまた他方の敵手に近づくのだそうだ。お金のことを考えるとわかりやすい。お金がありすぎる生活を送る人は、手の届くものはほとんど体験し尽くしてしまい、満足を忘れる。その結果、常にその生活には退屈が付き纏い、何か刺激のあるものを追い求める。お金がなさすぎる生活の苦痛は語るまでもない。四書五経の中にも中庸という書がある。何事も適度でありたいものだが人間はそこまで安定した高度な精神を持ち合わせていない。弟について言うならば、彼の抱えるものは内面的な退屈だ。家の中の世界で王子様のように振る舞い、その生活が期限付きということを知っていながら目を背けている。両親に対する彼の暴言の理由は、僕にはどれも後付けのように思われた。内面の空虚が外面的な刺激を求め、その結果手軽なものとして両親への非難や嘲笑という形を取ったのだろう。そしてその結果への理由づけとしてあとからあとから過去をねじ曲げ物語を作り上げているように思えた。だから彼の語る物語は語れば語るほど破綻が目立つ。退屈しのぎに死ぬほどの気概はない。
 それはもちろん僕の偏見でしかないし、人間はそれほど単純でもないのだろう。ただ僕は、あの日の夜、反論に飽き始めた彼の顔に例の内面の空虚を見た。彼の言葉は何かを伝えるためにあるのではない。何らかの関係を改善するためにあるのではなかった。彼はただ自らの内に巣食う退屈を発散させたいだけなのではないか。そう思ってしまうような幕切れだった。他人の言葉を肯定することはない彼だ。しかし否定はしてもその論拠を挙げることは徐々にできなくなっていった。時間を、世界を、誤魔化し続けたいのだろうと感じた。しかし彼の中の時間をどう誤魔化そうと、彼の外側の時間はいつまでも動き続けている。そしてそれらの乖離に彼が焦燥を感じていることも見てとれる。これらは全て、僕にとっても言えることだ。僕は今まで何も為すことができないまま生きている。けれどどうすればいいのかわからなかった。弟のように「大学へ行く」という明確な出口も持っていない。
 そんなことを考えているうちに弟の受験が近づいていたが、母からはこの頃弟についての愚痴は届いていない。久しぶりに真梨とセックスをした。彼女は僕の持続力について嬉しそうにからかった。
「最初はあんなにすぐいってたのに」
「真梨に育てられたね」
「ばーか。もうへとへとなんだけど」
「寝るならコンタクトとりなよ」
 わかってる、と言いながら真梨は化粧も落とさず裸で毛布にくるまって心地良さそうに寝息を立て始めた。実習がひと段落したらしい。いろんなことがあるべき場所に収まろうとしているように感じた。僕はまた新しい小説を書き始め、それはいつもより長いものになりそうだった。明日は給料日だが、るるはに会うよりも真梨へ何かプレゼントを買おうかと考えている自分に気づいた。弟を殺そう。そう思った自分を思い出す。そう思った自分を忘れていたことに気づく。忘れてしまえばよかったのだろうか。誰かを殺そうと思った気持ちを、忘れてしまってもいいのだろうか。ハンドソープで念入りに手を洗いながら、どうしてもその気持ちをなかったことにするべきではないような気がした。弟がどんな言葉で両親を傷つけ続けたのか詳しくは知らない。父や母からの伝聞でしかない。けれど彼はいつまでも苦しめ続けたいと言った。それは呪いの言葉だ。一度言葉にしてしまったら取り返しのつかない類のものではないだろうか。それがただの退屈しのぎから出た言葉だとしても。僕は弟を苦しめたいと思ったことはない。ただ終わらせたいと思った。どうして幸せになろうとしないのかと怒りを感じた。幸せになろうとしなければならないわけではない。けれどそこに他人を巻き込んでしまうのは間違っていると思う。家族といえど他人だ。弟はどうして家族という単位にそれほど甘え固執するのだろう。彼は彼自身を生きているはずなのに。嫌いなら断ち切ればいいのではないだろうか。そう思う僕の方が甘いのかもしれない。けれど結局責任は自分にある。
 今更弟への殺意を思い出してどうするつもりなのだろう。何も起こっていないのに。誰もそんなこと必要としていないのに。けれど、そうやって過去にしてしまうのは正しいのだろうか。何も解決しないまま忘れてしまっていいのか。正しいとは、つまりどういうことだろう。わからない。けれど僕は、許せないと思った。弟の存在を受け入れることは二度とできないと。おそらくこれも思い込みだ。また破綻したいふりをしているだけ。生きていくのが怖いだけ。理由もわからず。弟と同じ。内面の空虚の要請でしかない。わかっている。だから時間をおけばいい。
 車の鍵を手に、眠る真梨をおいて外に出た。電気は点けたままにしておいた。車の中で煙草を吸って、しばらくじっとしていればいい。そうやって今までもやり過ごしてきた。車のロックを解除する音が闇の中に響く。静かな夜の中で、その音になんとなく罪悪感を覚える。煙草の箱は空だった。ため息を吐き、ライターだけ持ってコンビニまで歩く。信号待ちの時、財布を持っていないことに気づいた。青になった信号の前で僕は立ち尽くしていた。何をしているのだろう。やがて点滅し、赤になる信号。それはこのまま漠然と歳をとる僕の人生への警告か。人生なんて、軽々しく言うものではない。部屋に戻って小説を書こう。そう思った時、電話が鳴った。僕はスマホに表示された名前をしばらく見つめ、やがて画面をスライドさせた。
「はい」
「大ちゃん?」
 久しぶりに聞くその声は、昔とそう変わらないような気がした。けれど僕はここ数年、彼女の声を思い出したことがあっただろうか。明かりのついた窓を振り返りながら僕は応えた。
「そうだよ」
「よかった、番号変わってなくて。声もあんまり変わんないね。今何してた?」
「どうしたの、突然」
「うん、ごめんね、びっくりしたよね、こんな時間だし。あのね、私、最近こっちに戻ってきたんだ。それでなんとなく、いろいろ思い出しちゃって」
 いろいろ思い出せるというのは素敵なことだ。僕は昔話をするのが苦手だった。何かきっかけがなければうまく思い出せない。過去はエピソードとしてエンコードされないままぼんやりとそこに漂っている。芽衣子の声を聞くのは昔から好きだった。よく深夜まで電話し、通話を繋いだまま眠ったことがあった。いや、眠るのはいつも彼女が先で、僕はいつも彼女の寝息を聞きながら彼女の勧めてくれた小説を読んでいた。そういうことを思い出せるのは、きっと今この瞬間だけなのだろう。
 芽衣子は東京で雑誌の編集者をしていたらしい。しかしほとんど休みのない多忙な日々に疲れ、自分の書きたい小説も書くことができず、文字を読むのもしばらく嫌になってしまったのだとか。そしてある日、取材先でひどい扱いを受け、そのまま糸が切れたように部屋に引きこもる時間を数週間過ごし、こっちへ帰ってきたのだった。彼女の凄いところは、そうやって何かがあっても、それを振り切り次への一歩を踏み出せるところだ。今は地元誌やネットの情報サイトにコラムや紹介記事を寄稿するフリーライターとして再起し始めているらしい。
「すごいね、文章でお金もらってるんだ」
「ああいうライティングって結構技術として学べるの。こういう感じで書いて欲しいみたいな向こうの要望もはっきりしてるしね。そんなに創造的な部分はないかな」
「それでも、すごいよ」
 僕は煙草が吸いたかった。それだけを考えながらしばらく彼女の話を聞き流していた。弟を殺せば、もしかすると僕を取材する人々の中に彼女の姿もあるかもしれない。そして僕についてのノンフィクションなんて書き出すかもしれない。彼女は僕のひととなりをどのように描き出すのだろう。それは読んでみる価値がありそうだった。僕は僕がどのように見られているのかに興味があった。
「それで、よかったら今度、会えない?」
 いつ、と僕は応えた。

 弟が中学校へ行かなくなった理由を僕はよく知らない。けれど想像することはできる。僕の実家は比較的新しい団地にあり、住んでいる年齢層も近かった。弟は引っ越してきてからすぐにできた子供であり、同じようなことは隣の家でも行われていることが多く、彼は昔から近くにたくさん同級生がいた。特に向かいの家の高橋くんは誰からも好かれる明るく礼儀正しい男の子であり、父親譲りの美男子だった。団地の主婦たちはよく集まって噂話をする。弟はそんな親たちの会話をとても嫌っていた。高橋くんが陸上競技で表彰された時、弟はそれを嘲笑った。たかだか市内で一番になったところで何になるのかと。自分は何もしたことがないにも関わらず、彼は根っからの負けず嫌いで、誰かが評価されると必ずその逆のことを言う。それは授業での失敗であったり、テストの点数であったりした。弟は勉強ができる方ではあったが、本気でやって評価されるのが怖いのか、まともにテスト勉強をしようとはしなかった。それでも学年では常に二十位前後ではあったらしい。家で同級生の話が出るたびに馬鹿にするようなことを言い、誰も知らない本や歌い手の話を一方的にすることを好んでいた。両親は自分が彼の同級生の話をするたびに彼を傷つけているということにいつまでも気づかず、弟はそんな両親の無神経さをますます嫌いになっていった。普通の話をしているのは彼にとって馬鹿の証拠だった。彼は自分を特別だと思っていた。
 ではどうして彼はそう思うようになったのだろう。それは彼のアトピーと関係があるのではないかと僕は思っている。小さい頃は特に口にできるものを制限され、母はミキプルーンに始まる様々な健康食品を試した。一時はアレルギーに効くという大分県の温泉へ母と二人で数ヶ月泊まり込んだこともあった。そういうわけで彼の食事はいつも特別扱いされており、アレルギーにかこつけて好き嫌いも明確に示した。おそらく弟は「他責」という言葉を知らない。彼は自分がひどいアトピーを持って産み落とされたことを理由に様々な責任を回避する術を覚えていた。同じ土俵で戦うことはしない。彼はいつも特別枠。そして上から目線で同級生のことを見ていた。だから同級生が評価されることが許せなかったのではないだろうか。
 そんなことはどうだっていいが、事実として弟は同級生が高校受験のため塾に通い始めテストの点数が伸び始めた頃から学校へ通うのを拒否するようになった。高校は誰でも入れるような私立の学校に入り、数ヶ月は通ったがやがて辞めた。理由は「まわりが馬鹿ばっかだから」であった。彼自身は特等席にいるつもりなので、馬鹿にしきっているその集団の中に自分も入っているという認識は持ち合わせてはいなかった。その後自力で高卒認定を取るまでは早かった。周りよりも早く大学受験のための勉強も始め、親にねだって飼い始めた柴犬の世話もひとりでしていた。僕はその頃すでに家にいなかったので知らないが、彼は犬を溺愛しているようだ。しかし一度目の受験に失敗してからはその犬が彼の言い訳に使われるようになった。塾へ行くのは犬の世話があるから無理と言った同じ口で、世話があるから勉強に集中できないと親にあたる。父や母が犬の世話をすることには文句をつける。彼には何も事態を進展させる気はなく、そのような問題は一切改善されないまま今も続いている。僕が大学へ行っている間に彼は小さく完結した世界をそこに作り上げてしまった。それが明らかに一時的だということからは目を背けて。彼自身も焦りは感じているのだろう。やはり日に日に両親へのあたりは強くなっていったようだ。
「そんで、なんでお母さんは出てったわけ」
「知らんし」
 父から電話を受け僕は久しぶりに実家に帰っていた。弟は数日後に受験を控えているのでこんなことをしている場合ではないと思うのだが、何故かリビングのソファーを陣取っているので話はできた。
「なあ、これもうやめてくれん。あほらしくない?」
「これって何」
「わかってるやろ、アホじゃないんやから。なあ、なんでそんなに無駄に親につっかかるん?」
「別につっかかってない。向こうが間違ってるからそう言っただけやん」
「あのさあ、なんでどうでもいいことにそんなエネルギー使うの?」
 今回の発端は犬の糞だった。散歩帰り、弟は犬の糞を持ち帰った袋を玄関に置いていたらしい。それを見つけた母は彼に片付けるよう言った。すると彼は母に対し「見つけたら見つけた人が片付ければいいやん」ということを言ったそうだ。そしてその袋は母がヒートアップし家を出て父に電話し、父が僕に電話して家へ向かわせ、到着するまでそのまま玄関にあった。僕は家に着くとまずそれを確認し外へ持っていって処理した。それだけで済むような話がまた拗れていた。
 僕は弟のことを本気で考えたことがあるのだろうか。それは罪悪感とも言えない他人事のような思いつきだったが、不意にそう思った。弟どころか、父や母のことだって僕は深く知ろうと思ったことはあっただろうか。家族のことを考えるのは面倒だった。それは何も考えずともいつまでもそこにあるものだった。けれどそれは父が、母が努力し維持し続けてきたものなのだ。弟はどうしてそれを破壊したいのだろう。いや、破壊したいのではない。家族というものを弟は何故か特別な関係だと思い込んでいる。どれだけ殴ろうとも壊れないサンドバックで遊んでいるつもりなのかもしれない。それとも彼も何かを変えたいという感情を抱いているのだろうか。そしてそのエネルギーの使い方がわからなくなっているのだろうか。彼も誰かに助けて欲しいのだろうか。本当の自分みたいなものを見つけてもらいたい、評価して欲しい、そんなことを思っているのだろうか。ツイッターでは承認欲求を満たせず、親への侮蔑で何らかの感情を発散しているのだろうか。自分には何もできないということを知っていて、それでも何か都合よく人生がうまくいくと信じているのだろうか。
 僕はそう信じているのかもしれない。僕は小説を書いていて、そしてそれがいつかどこかで評価されると思っているのかもしれない。どうすればいい小説が書けるのかわからない。けれど自分は何か特別なものをもっていると、どこかで思っているのかもしれない。漠然と無気力に生活を続ける。生活こそが現実なのに、それを軽んじている。僕は明日、芽衣子と食事の約束をしている。けれど僕は真梨を失いたくない。僕は彼女を失うととても悲しいだろう。僕は彼女のことが好きなのだろう。けれどどうしても本気になれない。どうしても、自分の感情を他人事のように思ってしまう。投げやりになってしまう。それは仮のものだ、僕が本当に生きているのは別の場所なんだ、今は評価されていないけれどそのうちあっち側にいくんだ。そんな幼稚な考えが心のどこかにありはしないか?現実を本気で生きて失敗することすらできないくせに。本当の自分?それはなんだ。今ここで評価されている自分、それ以外の自分は存在しないのに。
「なあ、大学行って何がしたいの」
 そう問いかけてからどれくらいの時間が流れたのだろう。彼はこうやって話している間に長い沈黙を利用することが多かった。そしてようやく、彼はどうしてか恥ずかしそうに「名を残したい」と呟いた。
「化学でも物理でも生物でも何でもいいから、自分の名前を残したい」
 ああ、と僕は胸の内で唸った。いつだって恥ずかしげもなくそう言えたらよかったのに。本気で何かに夢中になれたらよかったのに。彼も、僕も、それを恥ずかしいと思ってしまう。何かに本気になることを恥ずかしいと思ってしまう。本当に欲しいものを欲しいというのは恥ずかしい。それでも彼はそれがしたいと言った。僕はとたんに彼を応援する気持ちが湧き出してくるのを感じた。頼むから、何もかもうまくいってほしい。恥ずかしいことを本気でやらせてほしい。そういう世界であってほしい。自意識で汚れ普通のことしかできずやりたいことを後回しにして生活するために集団に属するために自分を偽って誰かを演じ続けてそして結局僕は何もできない何も学んでいない中年になっていく。特別な誰かになりたかった。けれど僕は何が自分にとって特別なのかわからなかった。特別なものはいつも失ったものかまだ出会っていないものだった。それはいつも過去か未来にあり現在には欲しいものなんて何もなかった。現在にこそすべてがあり、現在でのみ僕らは生きらるというのに。カルペディエム。メメントモリ。そんな言葉誰だって知っている。生きることに夢中になりたい。今に夢中になりたい。けれどどうすればそうできるのか僕らは知らない。どうすればがむしゃらに生きられるのか。目の前のことをやっていくしかないのに、何か特別な瞬間を待ち続けているのだ。突き抜けられない。衝動に委ねられない。僕と同じように、きっと弟も人を殴ったことがない。中途半端に恵まれていて、生ぬるく息苦しい世界。世界なんて、大きな主語で責任転嫁してしまう。自分次第だと大人は言う。けれど具体的にどうすればいいのかは教えてくれない。僕らはグラインダーみたいに手をひいて飛ばしてもらわなければ何もできないのかもしれない。そんな甘えを言ってしまいたくなる。けれど僕を生きられるのは僕だけで、僕が動かない限り僕の世界は何も変わらない。そして弟の世界も。彼は今年の受験で京都大学へ行けるのだろうか。わからない。そんなことを尋ねることはできない。すべて自分の責任だということを彼はきっと知っている。大人は、親は、言わなくてもいいことを言う。だからムカつくよね。
 名を残したい。それは結果であって、目的にするようなものではない。目的は、熱中するべきものは他にある。そうして熱中しているうちに気がつけば名を残すような何かを成し遂げているのだろう。それほど好きになれる何かでなければ、名を残すほど続かないのではないだろうか。けれど僕は、それでもいいと思いたかった。名を残したい、それが始まりだっていいのかもしれない。その過程で何か熱中できるものを見つけられるかもしれない。何もしないまま何かと出会う瞬間を待ち続けているよりもよっぽどいい。僕だって同じだ。小説家になりたいと思ったのはいつだったか。しかしその願いは間違っている。小説家になりたいと思って小説を書くというのは不純だろう。小説を書かざるを得ない、そのような人間が小説家なのではないだろうか。けれど僕は小説家になりたいと思ってしまう。小説を書くよりも早くそう思ってしまう。それがどうしてだったか思い出せない。それでもその思いは残る。後ろめたさはある。劣等感がある。自分を不純に感じる。けれどそれでも書かなければ小説家にはなれない。僕はきっと、あの頃の芽衣子とずっと一緒にいたかったのだろう。あり得たかもしれない世界への渇望。それが僕の小説を書く動機なのかもしれない。とても惨めで、けれど永遠に満たされることのないありがたい動機だ。だから僕はいつも誰かに罪悪感を覚える。隣にいる誰かを好きだといいながら、どこか心に後ろめたさがある。真梨が好きだ。けれど僕は、どこかへ消えてしまいそうな自分を感じている。だから誰かと別れる時、僕は相手をどれほど必要としていようと、引き止めることができない。嘘ばかりを生きているような気になる。どうすれば立て直せるのかわからない。責任を持つことが怖い。そんな幼稚な自分が悲しくなる。
 父が帰ってくる前に家を出た。母も母の責任でなんとか生きて欲しい。僕は申し訳ないけれど自分自身で精一杯だ。車に乗りエンジンをかけてみてもどこへ行けばいいのかわからない。同棲している家に帰るしかないのだけれど。それで、何に気づき何が変わったのだろう。弟を殺したいと思った気持ちは消化された。けれど胸の内で何が起ころうと世界は何も変わらない。行動しなければ何も変わらない。僕に何ができるのだろう。おいていかれたくないという切迫した焦燥だけがあり、具体的なことは何も思い浮かばない。こんな不安定な感情のまま行動するのはよくないのかもしれない。けれど衝動の力を借りなければ僕はいつまでも何もできないままなのではないだろうか。コンビニで車を停め、電話をかけた。
「はいこちらタレント学園四日市店」
「今から利用したいんですが」
「ありがとうございます。ご指名はございますか?」
「るるはさんをお願いします」
「あー、彼女は先週辞めたんですよ。つぼみちゃんとかどうですか?」
 るるはと話したかった。金を払い、もう会わないと言おうとしていた。そんな自己満足を彼女は見抜いたのだろうか。いや、全ては偶然だ。自分で現実に物語をくっつけているだけ。考えてからかけ直しますと伝え、電話を切った。
 ホームページを確認する。所属の女の子の中からるるはを見つけ出すことはやはりできなかった。彼女と最後に何を話したのか、僕はよく覚えていない。ここ数年、自分がどのように生きてきたのか、僕はあまり思い出せなかった。いつも何かから逃れるように、時間をやり過ごしていた。弟の、家族の心配をしているどころではなかった。僕はどう生きればいいのだろう。何を混乱しているのだろう。僕が取り乱そうと、変わらず月曜日はやってきて、仕事は待っていてくれる。それはとてもありがたいことのように思えた。その時、スマホがけたたましい音を発した。地震速報のアラートだった。
 数十分、車の中でニュースやツイッターを追った。震源は千葉県沖で、揺れはほとんど観測されなかった。甘ったれた僕に警告するようなアラート。それも僕の思い込みだ。しかし個人の世界はそうやって成り立っている。それぞれがそれぞれの思い込みの世界を生き、物語を生み出している。けれど、地震や疫病や事件のニュースを舞台装置のように感じてしまうのはよくない。ニュースで報じられるそこには確かに人が生きていて、苦しんでいて。それなのに、僕はそれを小説に利用しようと考えてしまう。想像力が足りない。何もかもに罪悪感を覚える。夜のバイパスを走りながら、ハンドルを不意におもいきり左へ切ってみたい気持ちになる。そしてそんなことを思う自分を恥じた。何を演じているのだろう。はやく真梨に会いたかった。明日僕は、どんな顔で芽衣子と会うのだろう。断る体力は今日はもうなかった。道路はどこかに繋がっている。けれど僕はどこへ向かっているのだろう。迫りくるテールランプを眺めながら、僕は誰のことを考えればいいのかわからなくなった。それでも体はブレーキを踏む。僕は現実から離脱できない。空想の中に飛び込めない。お腹は空くし、夜は浅い眠りを繰り返す。生きて、幸福になることもできる。それはなんだか、裏切りのように思えた。誰を裏切ったのだろう。僕は僕を生きていて、けれど僕は僕を通り過ぎた様々な人たちでできていた。車は停車し、信号が変わる。前の車は迷いなく進んでいく。僕はまた取り残され、少し遅れて、アクセルに足を戻す。

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