隣の死
友だちが欲しかった僕は、同じように友だちを欲しがっていた死を見つけた。屋上で身を乗り出してみたり、歩道からふらりとはみ出してみたとき、死は嬉しそうに手を振ってくれる。僕らに言葉は必要なかった。お互いがお互いを見出すことができれば、それで寂しくなかった。けれどそうしているうちに、いつの間にか死は僕に依存し始めたようで、僕が誰かと話していたりすると、怒って手を伸ばそうとしてくる。電車を待っているときは、目を怒らせてじっとこちらを見つめ続けている。僕はなんだか死がかわいそうになって、でも、あと一日、あと一日と、その手を掴む日を先延ばしにしている。だから死を責めてはいけない。彼はただ、寂しかっただけなんだから。