しんどいのは嫌い
もともと書こうとしてたのは上のやつのようなことでした。
(以下本文横書き)
しんどいのは嫌いだ。中学に上がった時、サッカーはもう辞めようと思っていた。練習が嫌いだからだ。けれど親も友達もみんな僕がサッカー部に入るものと思い込んでいたので僕はそれを裏切れなかった。スパイクやウェアだってそう安いものではない。僕の持っている服と言えばサッカー用のジャージか制服しかなかったのだ。高校に入学したての頃、軽音楽部の見学へ行った。僕はギターを手にしたこともなかったけれど「階段途中のビッグ・ノイズ」という小説を読み、グリーン・デイにどハマりし、ライブをしてみたくなったのだ。しかし僕以外みんなギターやらベースやらを家でも弾いていることを知り、その中でも一番垢抜けていて新入生とは思えないほど制服を着崩している男が速弾きを披露したので結局逃げるようにサッカー部に入ってしまった。勝手のわかる世界は楽だ。僕は冒険がしたいと思いながらも自分の世界から飛び出す勇気のない臆病者だった。サッカーは嫌いではないが朝はぎりぎりまで寝ていたいし部活後シャワーも浴びず電車に揺られるのも少し嫌。荷物は汗臭くて邪魔くさい。それでも、サッカーは嫌いでは、ない。
その日の試合は終始自陣に押し込まれる苦しい展開だった。前線にはキープ力のあるシゲを残し、フォワードの僕も一枚目のディフェンスとしてボールを追いかけ回していた。相手の最終ラインでセーフティに回されるボールにも、相手陣地へ大きくクリアされたロングボールにも、何度も無駄と思えるダッシュを繰り返す。
前半立ち上がりの失点が痛かった。しかしそこから崩れず地元の強豪相手にうちの最終ラインはなんとか耐え抜いてくれている。前線の僕らはまだ一度も決定機をつくれていない。前でキープできなければディフェンスも休めず苦しい。ビルドアップが遅れ、前と後ろの間隔が離れてしまう。そうなると数的優位が作れない。シゲにボールが入っても、ディフェンスに回っていた僕のフォローも遅れ、パスの出しどころがない。さすがのシゲも二人、三人と囲まれてしまえば奪われてしまう。体を張ってうまくファールをもらうことすらできなくなってきた。シゲも相当足にきている。自分たちの時間がつくれない。
ベンチのマネージャーの声で後半も残り五分だと知る。今すぐ走るのをやめたい。膝に手をつきたい。汗だくのユニフォームが重い。飛び出した裾をしまうのも面倒だ。柔らかい土に足をとられる。このあたりは普段野球部が使っている場所なのかもしれない。プールの方へ転がっていったボールを相手が拾いに行く間にピッチサイドのボトルを絞り水を口へ飛ばす。ぬるい。グラウンドを見回す。ゴールが遠い。試合前は狭く見えるピッチ。始まって中から見るととてつもなく広く感じる。スパイクが重い。足が止まりそう。
「まだ走れるよな」
黒田くんが汗まみれの顔で無理に笑いながら近づいてくる。ボトルを渡すと頭から浴びる。左右に顔を振って水を飛ばす。
「一本、裏狙うぞ」
ボトルをピッチ外に投げて真ん中の方へ走っていく背中。背番号十が汗でぴったり張り付いている。かっこいいなあキャプテン。何も引退試合とかではなくただの練習試合だ。けれど本気でやらなきゃ面白くない。
相手のスローインを間瀬さんが競り、こぼれ玉を啓介が拾った。前がかりの相手の後ろにスペースが生まれる。黒田くんに横パスが入る。流しめのトラップでディフェンダーを一枚はずし、黒田くんは顔を上げた。前線でセンターバックを背負った僕。目が合った。その瞬間、ふたりは同じ未来を見る。ワン。縦に強い楔のパス。黒田くんはパスを出すと同時に斜め左へ走り込む。ツー。僕はダイレクトでボールを落としそのまま相手に体を預けるように反転。相手ディフェンダーの裏へ走り出す。スリー。ボールに走り込んだ黒田くんがキーパーとディフェンダーの間へスルーパスを出す。
僕の目の前にはキーパー以外誰もいない自由なグラウンドが広がる。体の真ん中から剥けて脱皮するような快感が走る。見えないものを知覚する。ディフェンダーが追いかけてくるのを感じる。けれど僕には追いつけない。彼の手が僕のユニフォームの端を掠める。キーパーが飛び出すか踏みとどまるか迷う絶妙の位置を狙ったパス。その一瞬の迷いが僕を有利にする。相手は飛び出してきたが僕の方が一歩速い。対人戦で一番簡単なのは飛び込んでくる相手をかわすことだ。そして思考が消える。凄まじく集中していた。どう動いたのかわからない。気がつくとスライディングするキーパーの上をボールと一緒に跳んでいて、無人のゴールが呼んでいた。ボールがワンバウンド。僕は体勢を崩しながら足を伸ばす。その時、追いついてきたディフェンダーが僕に体をぶつけながら足を出した。が、コンマ数秒、僕の方が速く触った。僕らはもつれ合って転がった。砂まみれのまま顔を上げるとボールはゆっくり転がりゴールネットを揺らした。ゴールを認めるホイッスルの音。
背中の砂が熱いが起き上がりたくない。ボールを抱えた黒田くんが駆け寄ってくる。
「ないっしゅ」と手を引かれ立ち上がる。
「アイコンタクトだったね」
アホ、と黒田くんは笑った。シゲとハイタッチ。「土食っちった」唾を吐き出す。右足首が痛むが自陣に駆け戻るキャプテンの背中を体が勝手に追っている。黒田くんはセンターサークルの真ん中にボールを置いて振り向いた。
「もう一点いくぞ」
心底楽しそうな顔。キックオフのホイッスル。僕はボールを追いかけて走り出す。