中野えびす丸、noteはじめます①
はじめまして。中野えびす丸船長の中野圭といいます。
岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)という町にある崎浜漁港で、漁業を生業にしています。主にホタテの養殖をしていて、その他に、ホヤ、ワカメなども取り扱っています。
今回、普段から抱えている想いやこれから色々とチャレンジしたいことがあってnoteを通じてみなさんに漁業のこと、越喜来のこと、様々なことを発信していきたいと思います。なぜnoteにしたのか。いや特に理由はないんですけども、これを機にnoteデビューだ!
さらに、今回は僕だけでなく、中野えびす丸情報発信チーム(もっとかっこいい名前がいいな)として色々と発信していきますので(後述)よろしくお願いします。
今回は、自己紹介として、大学の友人からのインタビューに答えるかたちで語ってみました(書き起こしなので、言葉が話し言葉でわかりずらい部分、言い方が失礼な部分があるかもしれません)
それでは、どうぞ。
※太字部分はインタビュアーのイイジマケンジさんことけんじです。
地元が好きではなくて、都会へいった
ーーそれでは話を聞いていきましょう。幼少期から大学生活を経て、Uターンするまで、どんな感じで生きてきたのか?
岩手県大船渡市という太平洋沿岸部の、越喜来(おきらい)崎浜(さきはま)という小さな港町出身です。そこで生まれ育ち、中学校卒業するタイミングで、その当時、地元が好きではなくて、田舎臭いし、やっぱり都会にいきたいなーと。高校は思い切って家を出て仙台市の高校に進学し、寮生活をしていました。そこから大学にいこうということで、いざ、花の大都会東京に出て4年間通ってました。
そして大学卒業するにあたって、どんな進路を選ぼうかと考えたときに、実家が漁業を営んでいて、、、
大学生のときに漁業が不振な状況になっていて、「なんで実家や地元の周りの人はこんなに朝から晩まで働いて頑張っているのに苦しい思いをしているんだ」と考えるようになって、第一次産業をより良くしたいと思うようになりました。「食」ってめちゃくちゃ基本的なことだし、大切なことだから、すごい価値のある産業なんではないかと。
卒業後、会社員生活で修業し、約1年後林業に関する会社を起業したんですが、起業した直後に2011年3月の東日本大震災が発生しました。
すぐに地元に帰り、そのときに見た地元の姿は今でも忘れられず、自分なりに復興支援に携わっていくなかで、「だめだ、地元に戻りたい」と素直に思うようになりました。
そして、2011年秋には東京の仕事は家を整理し、地元に戻ることになりました。
復興支援のNPOで活動を始める
ただ、地元に戻っても、まだまだ漁業ができる状態ではなく(港は壊滅的で、実家で漁業を営む父親も緊急雇用でがれき撤去の日々・・・)、そこで復興支援のNPOで仕事として活動するようになりました。ここで様々なNPO業界の方々と関わるようになり、人のつながりがめちゃくちゃできました。このつながりはめちゃくちゃでかい、感謝。
そんなNPOの活動は少し離れた部分でも、自分の地域で花火大会をやりたいなー!ということではじめたイベントなんかもありまして、それももう10年続けることが出来ています。感謝。http://okiraisummer.love/
また、色々活動していく中で、同世代(当時20代後半)の人たちといろいろ繋がりができて、自分たちでせっかく戻ってきた岩手を単純に言うと面白くしていきたいという想いがあって、NPO法人wizも設立しました。wizでは代表理事として活動しています。
一方、漁業のほうは、実家が代々継いできた家業、自分も長男で、心のどこかにはありました。ただ、当時は飯を食っていくというのがなかなかできなくて。
2015年にいよいよ漁港が再建して、漁業ができるようになってきたので、2016年から自分も漁業にシフトしていきました。
<②へ続く>