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かまってちゃんについての考察。



数日前に、かまってちゃんに関する呟きをした。

それでもう少し考えてみたんだけど
かまってちゃんには2パターンありそうだなと。

1)積極的かまってちゃん
2)受動的かまってちゃん

1)は、誰かの反応が欲しくて「見て!」「かまって!」と発信なりリプライなりを多くするパターン。
2)は、そういう行動は初めはしないでチラチラと様子を伺うパターン。

後者はおれにはなかなかにしんどい。
というのは、そういうタイプに懐かれやすい体質(?)だからだ。

最初は様子を伺っていて、仲良さが増した頃から少しずつ「なんで声をかけてもらえないんだろう」「反応がない……」のような発言が増えてくる。
それで話を聞いてみると、愚痴やときには誰かの悪口なんかが出てくる。

そういうものを溜め込みすぎるのは良くないだろうと思うので、ある程度話を聞いている。
すると時にはそういう人に
「そんなに悲観しなくても、見ている人は見ているよ」
的な意見やアドバイスや自分の見解を言いたくなる瞬間が訪れる。
それを伝えると、あからさまに不機嫌になったり
「でも」「だってさ」みたいな言葉が返ってくる。

こういう人たちは、状況を改善したいのではなく
単に愚痴りたいだけなんだろうな。
自分は変わらないまま、周囲が自分に自分に注目するような状況になることを望んでいる。

なぜ。
注目を浴びたいのに何故そのような物言いなんだろうと疑問だったんだけど、ふと思った。

彼らは、自分を肯定することが出来ないんじゃないか
と。
自分で自分を支えることができなくて、
なんなら自分のことが好きじゃないから
「見てくれる人はいる」という言葉が不快なのではないかと。
自分を肯定的に見ることが出来ないという根幹があるから「見てくれる人はいる」ということに「そっか、そうだよね」と反応してしまうと、自分が間違っていることを認めてしまうことになる。
自分を肯定できはしないが、自分が間違っていることになるのは嫌だ。
という、複雑な思いを抱えているんじゃないかと。
注目されたいのに「見てくれる人がいる」的な意見が不快だという矛盾を。

そして、自分からその人間関係をシャットアウトしてしまう。
「確かにそういう見方もあるかもしれない」
くらいに思えればいいんだろうけど、
白か黒かの二極思考に陥りがちだから
シャットアウトしてしまうのかもしれない。

こちらとしては、
「この人のこういう面は賛同しにくいけど、
共通の話題を話して楽しい時間を過ごせるくらいの仲ではありたい」
と思う方だ。
その方が、話ができる相手が増えて楽しいからだ。

白か黒かの考え。
0か100かの捉え方。

そう考えている辛くないのかなあ。


なんて、駄文。
















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