医療機関で働く発達障害者の放浪記ー序章
やっぱり障害は呪い
よく障害は個性か呪いか、なんてカッコいい議論がある。僕はよく「変わってるね」「個性的だね」なんて言葉を賜ることが多いけれども、その当事者の目線から見て、個性なんてあんまりいいもんじゃない。本当にみんなが個性と呼んで褒め称えたりするモノの正体は、足の速さとか、頭の良さとか、コミュニケーションの上手さとかの、目に見える美徳の大小の序列化だ。アニメや映画じゃ、個性って、握りしめた拳から鋼の爪がジャキーンって飛び出す不死身の肉体とか、冷気を操って雪山にいきなり氷の城を創り出したりする魔法とか、スタイリッシュな超能力によって表現されるけど、現実ではそのパワーを発揮して悪者をやっつけたりする場面にはなかなか出会えない。炸裂した個性によって誰かを傷つけたりでもしたら、ずっと手袋とかを着けて自分を押さえつけて暮らさなきゃならない。
この世界は本当に、守る価値があるのだろうか。
僕は自分がSNSで気ままに文章を書く中でなるべく使わないようにしていた言葉がある。「発達障害」という単語。
その人が感じてきた困りごとや、人生で歩んできた道程が、たった4文字に濃縮されてしまう。こんなに退屈なことはない。
僕は「少しコミュニケーションが苦手」で「少し要領が悪くて」「少し挙動不審」なだけ、周囲と変わらない普通の人間なのだ。今までの人生でそう言ってくれる友人や先生もたくさんいた。しかしそう言ってもいられなくなったのだ。医療機関に就職したのである。
国家試験に合格しても変わらない人生の難易度
僕は大学を卒業してから、自分という「変わり者」に何とか社会の中で居場所を見つけさせるために芸術方面の道に進めないだろうかと画策し、見事に玉砕した。
その後、履歴書の職歴の欄が白紙の状態から就職するために資格試験の勉強を始めた。ペーパーテストの成績はまずまずで危なげなく国家試験は合格。でもそこから大変だったのはやっぱり就活。
人間と対峙して緊張するとやっぱり挙動不審になっちゃうし、高校からストレートで専門学校に入って就活しているハタチそこそこの若者とアラサーのオッサンで同じスタートラインで勝負しなければいけなかった上、社会人として望ましい考え方もインストールされていないから面接の受け答えでズレたことを言ってしまう。「困っている人を助けたいです」的なことを言おうとして「この格差社会を何とかしないといけないと思います!」みたいな発言をしちゃったこともある。あの時の面接官にテロリスト候補生みたいな奴って思われたかもしれない。
そんなこんなで、みんなやってる数撃ちゃ当たる戦法の就活の末にやっと辿り着いたのが今の職場なんだけど、そこでもまた問題発生。仕事ができなかった。
高価な医療機器を破壊しそうになる
毎日職場まで行くことはできる。決められた勤務時間中に職場に滞在することもできる。タイムカードを打刻した時間は仕事をしたことになっている。「仕事ができない」というのは不思議な表現だ。それは「効率的に業務を進められない」とか「職場で必要なタスクを処理する能力が周囲より著しく劣る」といった意味合いで使われる。
最初は慣れない環境で緊張しているだけだと思っていた。座学で頭でっかちになっていて現場を知らなかっただけ、何か失敗したとしてもすぐに慣れて職場にも馴染める、そう思っていた。
そういえば今までの人生でこんな状況は何度もあった。パン屋のバイトをすればいつも作業が遅いと言われる上にパンを焦がす。引っ越しのバイトをすれば、トラックの道案内が全くできない。居酒屋でバイトをすれば何処の席から注文が飛んできたのかわからなくなる。みんなが普通にやっていることが何故かできない。同じことを何度注意されても繰り返す。労働という営みを通じて周囲に与える影響の中で、「貢献」と「迷惑」のバランスが、調子の良い時ですらトントンなのだ。
食品製造のバイトでミスをしても食品ロスが少し増えるだけだが、今の僕の職場は、医療職だった。少しのミスが人命に関わることもある。
例えば患者番号。今の病院はほとんど電子カルテを採用しているので患者一人ひとりの情報データは番号で管理されている。番号の入力ミスがあると患者の取り違えなどの重大な事故に繋がる可能性がある。そうでなくても現場で作業をこなす手際が悪いと、他の部署に迷惑がかかる。
その日、僕がやらかしたのは医療機器の配線ミスだった。本当は繋がらないはずの上下の配線を逆に接続したため、システムがエラーを起こしたのだ。
現場は作業中断。当然、めっちゃ怒られた。医療機器には数百万から数千万円はするものがザラにある。上司も肝を冷やしただろうが、幸い、業者を呼ぶには至らなかった。その日はそれからもう放心状態で仕事にならなかった。
試用期間が終わる三か月に差し掛かかって、僕は一緒に入った同期の年下の女の子より仕事の覚えが悪かった。上司ですら要領の悪い僕にキレそうになりながら言葉を選んでいるのがわかったし、同じ部署の全員に気を遣われていた。
「患者さんに被害が出る事故になってしまうと、私達もかばい切れなくなってしまうので気を付けて・・・」
先輩のかけてくれたフォローの言葉に目がうるんだ。30過ぎた男が、職場で泣きそうになっていた。
「すみません、何とか上手くやれる方法を考えてみます。」
発達障害者、故郷の病院へ帰る。
関東の県庁所在地にあるその心療内科の病院は、気取った建築家が設計したみたいな建物で、外階段を上がって2階にあるガラス張りのエントランスから中に入る。受付のあるホールは3階か4階くらいまで天井が吹き抜けになっていて、外国の家とかにあるプロペラがぶら下がっていた。あちこちにカウンセリングのための個室のドアがある。階段もオープンな作りになっていて、誰かが上階から行ったり来たりする様子は丸見え。3階より上と1階へ行くのはらせん階段になっている。手すりは金属製で無機質だが人の背丈ほどもある観葉植物がいくつも置いてあって、ホールの片側の壁は全面ガラス張りで夏の日差しが優しく差し込んでいた。心に問題を抱えてやってくる人達のために、開放感のある構造になっているのだろう。医療施設というよりは、映画の金持ちの別荘とかホテルみたいな内装だった。
僕がちょっと荒れて喧嘩沙汰の事件を起こした高校時代から通っている、馴染みの店みたいな感じだった。受付の前に並んでいる、塗装の所々剥げかけている合成皮のソファも学生時代のあの頃からそのままだ。
人生の節目にはいつもここへ来ていた。父と母が離婚した時、女の子にフラれたショックで首を吊って死にかけた時、音楽や演劇の夢を追い続けることができなくなって精神的に限界になってしまった時。
院長先生は70代くらいの白髪の老人で色白の顔には深く皺があるが背筋はしゃんと伸びていて、くぐもった喋る声には温かみもあり、知性高き好々爺といった風情の人で、医者らしい厳しさや気取りもあまり感じさせなかった。こうして就職という人生の一大イベントを経て久々に会うと、父方と、母方と、3人目のお祖父ちゃんみたいな人だなと思った。医師と患者という関係ながら15年以上の付き合いだった。この人は、僕の人生の半分以上、ほとんどを知っている。院長先生の部屋で木目調のテーブルを挟んで座る。奥の本棚に沢山の専門書が並んでいるのが見えた。
「どお?最近は?大きい病院で働いてると勉強になるでしょー?」
「はい。でもミスが多くて・・・。この前も機材壊しそうになっちゃって・・・」
「え?中野君、不注意あったっけ?そりゃやべえなあ」
「ヤバいんです」
緑のポロシャツにベージュのスラックスというカジュアル寄りな出で立ちの院長先生は口調はもっとラフで、そう言って立ち上がると書類棚を漁って僕にホチキスされた一組の用紙を差し出した。
「これ書いて」
アンケート用紙のようなものだった。「落ち着いて座っていられない」とか「忘れ物が多い」とか、噂には聞いていたADHDの症状だ。僕に当てはまるのは明らかに「不注意による失敗」だった。
受付ホールのソファで5、60問ほどの設問に答えている間、院長先生は他の人達の診察をしているようだった。しばらくして人もまばらになり、職員の人達も昼休みを取り始めようかという時、また院長先生の部屋に呼ばれた。
「えーと27番が3で・・・、面倒くせーなあ」
なんと院長先生が自らアンケート結果の点数の合計を計算していた。医療現場の責任者である医師の時間をそんなことに使うなんて。
「・・・コレ、他の人に任せられないんですか?」
「君のためにやってんだよ。今、人がいないんだ」
「あ、すいません。ありがとうございます。」
「コレ、保険点数つかないんだぜ?まったく日本の医療制度って奴ぁよ・・・。今日中に診断書出して治療を始めないと」
事態が深刻だったので困った事項の回答を少し盛ってしまったのだろうか、質問に正確に答えているかどうかを測る「矛盾指標」なる数値が高めになってしまったらしいが、そこには目を瞑ってくれた。
そして院長先生は投薬には患者情報の登録が必要なこと、少ない量から始めて、徐々に投薬量を増やしていくことなんかを説明してくれた。
「社会」と第2ラウンド
母が精神を患っている上に、血縁者にも障害を抱えた人間がいるので、自分が発達障害者なのではないかという疑いは限りなく黒に近いグレーというレベルで自分の中にあって、その悪い予感の通りに「社会人として働く」というステップになって行き詰ってしまった。処方してもらった茶色の棒状の錠剤が僕の人生を良くしてくれる魔法の薬である保証は無い。だけど自分にかけられている呪いを解いてくれたなら、障害というデバフを解除さえしてくれれば、後は何とか自力で社会と勝負していけるはずだ。
本当なら診断から投薬治療まで数ヵ月かかる人もいるだろうし、今回、緊急事態で場当たり的に診察を受けた当日から薬を処方してもらえたのは、おそらく院長先生の好意による所がかなり大きいだろう。職場の先輩にしてもそうだ。社会に追い詰められて、もう隕石でも核ミサイルでも落ちてきてくれと祈りそうになる度に、優しい誰かが現れて、俺によってたかって親切にしやがるのだ。リングに立ち続けろということか。いいだろう。第2ラウンドだ。
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