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OGRE YOU ASSHOLE「自然とコンピューター」

はじめに


OGRE YOU ASHOOLEの5年ぶりの新譜、『自然とコンピューター』を聴いた。

出典:OGRE YOU ASSHOLE『自然とコンピューター』


リリースされて間もないが、僕はこれを最高傑作と位置づけた。しかしそう断言してしまうのも少々恐ろしいので、その理由を過去の作品とともに探ろうと思う。

その前に、まずは作品そのものについて触れておきたい。

『自然とコンピューター』

前作とは打って変わって、ほぼ全編に渡ってシンセサイザーがフィーチャーされている。ライブでもある時期からシンセサイザーがステージに置かれるようになり、特に『家の外』リリース以降は欠かせない存在となっている。よって、今作の“コンピューター”がシンセサイザーを指していることはファンには自明である。では“自然”とは何か。こちらも愚問である。メンバーは長野県原村にスタジオを構え、活動している。これ以上の説明は割愛する。

以上は熱心でないファンでもすぐに分かるような考察であるが、僕が解釈した『自然とコンピューター』は少しだけ違った意味を持つので、それについて説明したい。

収録曲『偶然生まれた』『熱中症』の歌詞から分かるとおり、本作はディストピアを描いている。

時間はどこまでも続く
僕らはいつか止まる
空間はどこまでも続く
人がいなくたって このままただ続く

引用:OGRE YOU ASSHOLE『偶然生まれた』

誰も見ることのない
ものがただある
誰も聞くことがない
音がそこら中に
体がなくなり
遅れて心も
誰もいないけど
それでも この先続く

引用:OGRE YOU ASSHOLE『熱中症』

人類が滅亡した世界で、現象や存在のみがそのまま「在る」という状況を想像させる。他の曲でもディストピアを俯瞰している様子が多く描かれているが、人間の匂いがまったく漂っていないのは、少なくとも肉体はもうこの世界に存在していないことを示している。

僕よりも僕らしい
物がいたらどうしよう

引用:OGRE YOU ASSHOLE『君よりも君らしい』

そして最後を締めくくる『たしかにそこに』では、どうやらジャケットアートワークの黒い物体について歌っているようだ。

名前は付けなかった
掴めそうにもないから
モゾモゾと動く
ドクドクしている

引用:OGRE YOU ASSHOLE『たしかにそこに』

以上をまとめると、僕はこのように解釈した。

人類が滅び(少なくとも肉体は)、人の手が加えられていない自然な状態のみが存在するようになった。しかし、人類が作り出した建造物や家具などはそのまま残っている。もちろんコンピューターも。そのコンピューター(ミュージックシーケンサー)が自動演奏している音楽が本作である。

ここまでが最新作『自然とコンピューター』についての僕の解釈である。

過去の作品から紐解く

さて、冒頭で僕は「最高傑作」と言い放ったが、念のため補足しておくと「好きな曲がたくさん入っているから」という理由ではない。そういう意味で最高傑作を挙げるのであれば個人的には『homely』である。

出典:OGRE YOU ASSHOLE『homely』

『homely』の魅力についてはまた別の機会に譲るとして、OGRE YOU ASSHOLEを語る際には “homely以降” という言葉が頻繁に登場する。それほど重要な作品であり、彼らのターニングポイントでもあるのだが、メディアやインタビューでもそのように扱われることが多い。今回はそれに倣い “homely以降” のアルバム作品について取り上げることにした。取り上げる作品は以下のとおり。

『homely』(2011)
『100年後』(2012)
『ペーパークラフト』(2014)
『ハンドルを放す前に』(2016)
『新しい人』(2019)

まずは『homely』。ジャケットアートワークが象徴するように、「建物・居場所」を示す歌詞が多い。

ずっとここにいるような気がする
ここは、居心地の良いウソみたいな場所

引用:OGRE YOU ASSHOLE「フェンスのある家」

そこに存在してもいい、という肯定的な表現が多く、表題のとおり家庭的な温かみを感じる。しかし、心は温かい場所に存在しつつも、肉体は建物という物理的な冷たい場所にしか存在できない。『homely』のやわらかさの中に潜む暗さの理由はそれである。

次作の『100年後』は「終末」を描いている。

あーここには なにもない
人も家も残した跡さえも

引用:OGRE YOU ASSHOLE「泡になって」

テーマとしては『自然とコンピューター』に近いが、絶望感が強い。“家”も“跡”もない。

続いて『ペーパークラフト』では「薄っぺらな世界」。しかしそれを否定するわけでもなく、冷静かつ俯瞰的に捉えている。前作『100年後』が“動”であるならば“静”である。

ハリボテの街もなんだかいい

引用:OGRE YOU ASSHOLE『いつかの旅行』

意外とうまくできている

引用:OGRE YOU ASSHOLE『ペーパークラフト』

薄っぺらな世界=厚みのない世界は、無駄がないとも言い換えられる。『ムダがないって素晴らしい』ではそのように歌われており、絶望しながら自身を説得しているようにも聞こえる。

そして、次作『ハンドルを放す前に』では「記号・概念」について提示している。居場所や世界を失い、残ったものは人間の思考や解釈だった。

ハテナに入るひとつの言葉は?
空白にはまるふたつの形は?

引用:OGRE YOU ASSHOLE『頭の体操』

興味深いことに、『移住計画』ではこのように歌われている。

1番目に草が 2番目に虫が
3番目に動物が 最後に人が

引用:OGRE YOU ASSHOLE『移住計画』

自然に近いものほど優先順位が高い。『自然とコンピューター』への布石のように読み取れる。そして“動物”と“人間”をわざわざ分けている。

最後に、前作『新しい人』では「人間・自意識」について歌われている。

自分で自分を やっている
はずなのに
これは何?

引用:OGRE YOU ASSHOLE『自分ですか?』

尚、英題は『new kind of human 』であり、直訳すると「新しい種類の人」。転じて、新しい価値観を持った人、と解釈することができる。決してnew peopleではないのだ。さらに『動物的 / 人間的』は歌詞こそ難解ではあるものの、動物と人間の違い=自意識を持っているか・それを認識し言語化できるか、ということを表現しているようにも感じる。

最後に

過去の作品を振り返ってみたが、『自然とコンピューター』は “homely以降” の作品での問いかけに対する答えを提示しているように思える。決して望んでいないのだが、ゆらゆら帝国でいう「完全に出来上がってしまった」状態にも感じる。本作を一聴し率直にそのように思い、加えて驚くべき完成度とコンセプトの作品であると感じ、最高傑作と位置づけることにした。

※蛇足だが、坂本慎太郎の『ナマで踊ろう』はディストピアがテーマになっており、ゆらゆら帝国『やさしい動物』では“肉体がない だがまだ死んだわけではない”と歌われている。サウンド面が比較されることが多いが、歌詞やテーマにも共通項は多い。

尚、今回はサウンド面に関してほとんど言及しなかったが、そちらについては多くの方がクラフトワークをはじめとしたクラウトロック、ハンマービートとの関連性を語ってくれているのでそちらを参照されたい。

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