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◉君を褒めるということ。

オリンピックも終盤である。



私は卓越した運動神経の持ち主では無いので幼少期からスポーツからはかけ離れて生きてきた。



小学生の頃、体育のバスケの時間で当時の担任が



「うまい人チームと下手な人チームで戦え」



というよくわからない提案をし、そこでは問答無用で下手な人チームに入れられた。



中学生の頃、クラス対抗のソフトボール大会があった。



大会には各クラス2チーム出場できるのだが野球部の男子が



「うまい人チームと下手な人チームにわけよう」



というよくわからない提案をし、そこでも問答無用で下手な人チームに入れられた。



高校時代はバレーボール部に所属。



何の結果も残していない。



レシーブをミスって光の速さで靴のせいにした事もある。






私も運動でもっとたくさん褒められていたならばもう少しスポーツと縁のある人生を送っていたのかも知れない。



野球に興味が無いのも理由がある。昔うちではテレビのチャンネル権をお父さんが持っていて野球ばかりを見ていた。



当然見たい番組も見る事ができない。



そしてタイガースの結果によっては家族の雰囲気が悪くなるという。



違う。



うちの食卓の雰囲気はテレビに映っているこの選手のバッティングが決めるのではない。



何故会ったこともないような屈強な男達にそれを委ねるのか。



私は子供ながらにしてそれが疑問で仕方が無かった。



うちの食卓に野球中継が流れていなかったら私はもう少しスポーツと縁のある人生を送っていたのかも知れない。






人生というのは何がきっかけでどう物事が動くかわからない。



避けてきたスポーツに興味を持ってしっかりと取り組んでいれば自分にはすごい才能があったかも知れない。



スポーツだけでは無く、触れてこなかった何かに自分の能力を最大限に生かす何かがあったのなら。



それをやらなかったのは実にもったいない話だ。






子供の頃に褒められることは可能性を広げること。それは大変重要なのである。


ゆえに私はどんな事でも我が子を褒めてやる。


「いいぞ。」


「上手いぞ。」


「強いぞ。」


と。


彼の様々な可能性を広げる為に。






昨日息子とマリオカートで対戦した。



全力で挑んだがボコボコにされた。



「凄いじゃないか!」



嬉しそうな息子の笑顔。



彼の可能性はまた広がった。



「パパ。遅かったね。」



息子よ。



私のマリオカートの可能性は断たれたようだ。



それではまた。






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