われわれが子供の教育をするにしましても、われわれは前姿をもってのみ子供を教育する。子供を教育する人は、前姿のみで教育しようと思っておりますけれども、子供は後姿をちゃんと見ております。だから、後姿になにもないようなものは、虚偽の世界にあるものである。曽我量深 意 「宿題大丈夫?」 「○○もやろうと思ってるけど、やってないことってないの?」 「あるけど」 「じゃあ私も一緒だよ」 自分の後姿を教えられる、、、
「『道』 アントニオ猪木 この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ。」 「『道』 清沢哲夫 此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし ふみ出せば その一足が道となる その一足が道である わからなくても 歩いて行け 行けばわかるよ。」 アントニオ猪木氏が亡くなり 引退の際の詩も目にすることがあったが この詩